神聖な詐欺師
君が本を読み、ある知識を手に入れたとしよう。
例えば、「もうすぐ、新しい、もっとも大きな宗教があらわれる」(これが正しいかはさておき)
この場合、通常は外部から知識を得たと見做すが、何故知識を得たかを考え、これに対して「望んだからだ」と答えるのならば、知識の原因は自己内部に存在することになる。本とは、自己の内側を記述する媒体であった。或いは、その本の著者は君だった。もっというのなら、千人が同じ本を読んでも、千通りの知識をそれぞれが得るのであると。
このプロセスとある知識を「思いつく」プロセスに本質的差異はない。
ではハリストスとは何か。
外的な知識は存在しないので、何かしらの他力救済はあり得ない。
ハリストスとは、自我(エゴ)のために内的知識を求められないもののために、見せかけの外的知識(である内的知識)を演じるのを全人類的に要請された存在である。
これは取りも直さず、全人類の総意としてハリストスに自我の詐称を要求しているということではないか。
本を読まなければわからないという人のために、ハリストスという劇を上演するのだ。
何故個々人レベルではないのか。(個々人レベルにおいてハリストスは明らかに不要である)
例えば個々人としては不可能なほど要求が薄弱でも、全人類的には戯曲ができるほどの熱誠があるのだろうか。
そもそも、人はなぜ真理の一体性から敢えて離れ、自我(エゴ)を生み出したのか。
失楽園が自我の誕生を意味するとしたら、蛇と善悪の知識の木とは。
自我(サクラス)とは誰なのか。
私はこの天使と和解したく思います。