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母を緩和ケア病棟へ見送った日
皆様、こんにちは。
2022年初投稿になります。
今日はというか、2月3月は私にとって母と最期のいろんな出来事や思い出が詰まった期間でもあります。
もう少しで母が天国へ旅立ち1年が経とうとしています。
ちょうど去年の今頃の朝、私は母を緩和ケア病棟へ見送りました。
母は、大腸がんの肝転移で、
この日の3か月前くらいに事前に、最後は緩和ケアで過ごすことを母と病院の人との話し合いを繰り返して、決めていました。
コロナのこともあり、あらかじめいろいろと早めに段取りをしておかなければならなかったので、まだ元気な段階から終末期の準備をしなければならなかったのが、とにかく辛かったです。
母の死が近づいてきているのを感じながら、物事を決めること、母とお出かけすること、母と食事をすること
いつもと変わらない日常が、どんどん「これがもしかしたら最期になるかもしれない」という、悲しさや辛さなんともいえない気持ちがいつもつきまとい、苦しかったです。
また後日、母の病気発覚から治療の経緯や緩和ケアに至るまでの気持ちも投稿できたらと思っています。
去年の今頃は、現在同様、新型コロナウイルスの影響で面会は基本的に禁止。
緩和ケア病棟なので、何とか週に1度15分程度の面会が許されていました。
それ以外は、電話やスカイプで母とやり取りをするという流れ。
母ともう一緒に暮らせない上に、直接会えるのは週に1度たった15分程度。
あまりにも酷でした。
本当はいっぱいいろんな話をしたかったけど、
でも、最後のお別れみたいになるのも嫌だから、いつもと変わらない話をするようにしました。
でも、何か少しでも母が寂しくないように、そして今までの感謝の気持ちが伝わるように、幼馴染や友達、職場の動機に協力してもらって色紙を書いて渡してみたり。。。
限られた時間で、精一杯あがきました。
結局母が亡くなるまでに面会できたのは4回だけ。時間でいうと1時間。
あまりにも短すぎた、、、
終末期の1週間の体の変化のスピードはとても早くて、毎回母に会うのが、弱っていく母を見るのが耐えられない。胸をえぐられる気持ちでした。
この土日のお休みを活用して、友達や周りの私を支えてくれた大好きな人達と話したりご飯食べたりしながら、いろいろと思い出したので、久しぶりに書いてみました。
親や家族の介護や看病していると、一言では言い表せないなんともいえない苦しみというか辛さというかいろんな思いが付きまといますよね。
でも、その苦しみや辛さがあるのは、その介護や看病に真剣に向き合っている証拠で、めちゃくちゃ頑張っている証でもあると私は思います。
だから、自分を大切に
たまには、自分の人生、時間なんだから自分のために精一杯楽しんだり、怠けたりして上手く割り切って生きていけたらいいですよね。
なんだか、今日はうまくまとまらなかったので、今日はこの辺で(笑)
お付き合いいただき、ありがとうございました☺