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一浪から仮面の経験談

女、文系、生まれ持って面倒な気質、第一志望は有名私大。

このクアドラコンボで一浪から仮面でしかも落ちるなんて、お前どんだけサボってたんだ、やる気あんのか、その他諸々の声が寄せられるだろう。第一志望に落ちたものの第二に受かった時こそそれなりに喜んだが、その後は何度も自分にそう問いかけてきた。誰が見てもそうだ、ホントに出来損ないだな、この野郎。

言い忘れたが、ただの経験談のつもりが長文になってしまった為ご注意いただきたい。


​経緯

小学生時代なんてたかが知れてるにも程があるが、自分からサボったり手を抜いたりしない限りは勉強が出来る方だった。1クラス20人強、一学年2クラスのみの小さな学校、その学年でトップ3だなんて、当時はよく喜んでいられたなと思う。中学時代はその変な性格が仇になり苦い記憶しか残っていないが、英語の成績だけは毎回S、Aは一度だけ。英語が自分に合っているんじゃないかと思い始めたのはこの頃。

高校時代は演劇部と養成所に熱中し、成績は中の中程度、進路は芝居で行きたいと思っていたが、好きな読書から何を思ったか大学へ行くと決定。この辺りの理由についてはまた別記事に書こうと思うが、これも悩みに悩み、泣きながら考えた結果である。書いていても恥ずかしい。

だが決めたのは3年の後期、有名な塾に通うも、基礎が完成しきらないまま慢心したため当然受からず、滑り止めの片道2時間の大学を蹴り予備校通いの再チャレンジを決定。

1年目

別に予備校はサボっていた訳じゃない。自習時間もそれなりに確保し、満員電車に箱詰めにされながらも毎日通っていた。勉強の質とやり方が悪かったのは明らかだろう。今振り返るとよくわかる。反省したくせにまた似たようなミスをして学習しないのかこのアホ、と怒鳴りつけてやりたいが、問題はそれだけじゃなかった。

予備校生なら目標に向かって、ひたすら勉強するべきだろう、というのが個人的な考えである。特に日本は、浪人なら本人の意思が当然あるだろうし、そういった学力が全ての判断材料になるからだ。自分はどうだっただろうかというと、違うだろう。勿論勉強はした。だが考えずにはいられない、「ただあの大学に行くためだけに、こんな血眼になって暗記し続けることに意味はあるのか?」「自分の本当の憧れや理想は別のところにあるのではないか?」「ただその目標に向かって、こんな頭に詰め込むだけの勉強はバカバカしい」。

それが理由と知ってか知らずか、全くやる気の出ない日もあった。勝手に自分に言い訳をして、得意分野や単純作業だけに絞ったり、ほんの数分しか自習しなかった日もあっただろう。でも「バカバカしい」という考えは常にあり、それでもやらなきゃ自分を認められない、自分をこの世に出していくには値しない、少なくとも有名私大を出た肩書きは貰えると思って、ひたすら手を動かしていた。そんな動機だから身に入らなかったのかもしれない・・・とも思ってみるが、聞き苦しい言い訳にしか聞こえない。

ある時、風邪の症状もなく、熱を出して休んだことがあった。あれは恐らく疲労が原因かと思われるが、その一年はずっと重いリュックを背負っていたためか年中腰痛が消えなかったのをよく覚えている。不定期ではあるが、片頭痛と妙な腹痛に襲われ、気分の悪さで勉強どころじゃなかった時もあった。恐らくストレスによる胃炎だろう。だが別の日、朝から酷く憂鬱で、何を考えていたのかは知らないが、涙が止まらず半ギレで休んだことがあった。ばらつきこそあったが、生理周期にかかわらず、週一か2、3回のペースで情緒不安定の波はやってきて、週末の夜は泣いていた記憶がある。勿論思って下さって構わない、お前豆腐メンタルすぎだろ、社会不適合者すぎだろ、こんぐらいで泣くとか生きるの向いてないんじゃないのか。何より自分がそう思う。

自分なりに目標はあった。何をしたい、何をやり遂げたいというビジョンがあるのはそれだけで素晴らしいことだと思う(自画自賛ではない)。だが自分の場合は、そのターゲットが多く、思いが少し強すぎたのが原因なのかも知れない。どちらも同じくらい好きだし、それで少しでも仕事になるならさらに嬉しい。そこにかける想いは、誰にも負けない。たとえそれが現実的でなく、バカみたいな夢物語で幻想だとしても、曲げたくないものがあった。変なプライドと向上心とは正にこのことだ。このもう片方の目標については、深く語る予定はないがいつか書けたらいいなと思っている。

だがそれがもう片方を邪魔して誘惑し、それが時には現実逃避、情緒不安定といった形で現れる。年中あった腰痛と同時にあの二年間、2、3ヶ月に1回だろうか、そのぐらいのペースで離人症を発症していた。今も時折なるが、以前より頻度はグッと減った。離人症、と聞いてピンとくる人は少ない。検索していただければお分かりになることと思う。

2年目

そして再チャレンジ失敗、からの俗にいうFラン・・・という言い方はあまり好きじゃないが、それ以外に適切な表現が見つからなかった。それにヤケクソで入ってみたが、知り合った子たちは良い子達で、先生方の印象もよく、悪くない場所だと感じた。だがやはりこの変なプライドが諦め切れるはずがなく、前期の単位も持たないまま親を説得し休学、仮面浪人を始めた。幸いにも所属グループ担当の先生が色々アドバイスをしてくださり、仮面を決めた時も自由に図書館を使っていいと言ってくれたので、非常に感謝している。そう言われたからには使わないわけにはいかない、数ヶ月前のノートと参考書を持って机へ向かおう。その数日後、突如としてやる気が吹っ飛ぶ。「何のために勉強してるんだっけ」「やっぱりバカバカしい」。またこの繰り返しである。腰痛は勿論、離人症を再発症、週一で布団を涙で濡らすサイクルが再発。こうなるのが見えていなかったんだろうか。どこまでも馬鹿な自分である。

そしてまあ離人症と情緒不安定、そして血祭りによる体調不良に両腕両足を引っ張られながら、3rdチャレンジ。手応えはかなりあったが、覚えきれていない部分がドンピシャで出てしまったためダメだった。だが他の滑り止めは、倍率が例年より高かったにもかかわらず難なく合格。その内2校は、慢性鼻炎に苦しめられ鼻をズビズビ啜りながら、殆ど集中力と意識が飛んでいながら挑んだにもかかわらず。鼻炎持ちはいつでも辛いものである。

結局手放しで喜ぶことはできなかったが、まぁまぁ・・・いや、ようやく人並みの所まで来れたかといった実感はあった。齢20にしてようやく他人と肩を並べられる所まで辿り着いた。もう少しどうにかならなかったものかとつくづく思うが、過ぎた事は意味がない。その後、1年次は単位を大分落としてしまったものの、「学問の場」にいることで自分を再び見出せた気がした。どことない疎外感は拭いきれなかったが、それでもマシだった。こんな書き方をすると、ないものねだりとか贅沢だとか、多くを望みすぎとかバカなくせに驕ってるとか言われると思うが、何とか安心できる場所にしがみつけたというその事実が嬉しかった。実際自分が苦痛だと感じる暗記より、成績のためレポートやディスカッション、エッセイを書いている方がずっと楽しいし、調べるだけでは入りきらない知識を吸収したり、留学生と会話するのも新しい経験だった。今現在も悩みは絶えないが、それについてもキリがないのでゆっくり書いていこうと思う。


ここまで書いてみて、改めて気づいたが、目標を叶えるのに「予備校での暗記勉強」は必須だった訳であり、非常に稚拙に噛み砕いていうならば、好きなことややりたいことをやる為には嫌いなことも取り組まなければいけない。シンプルにそういうことであるが、そのストレスで離人症に体調不良に安定的な情緒不安定、それらを人類の多くは乗り越えて社会に出ているのかと思うと、心から凄いと思う。自分にはそれが叶わず、2年もかけてようやく人並みレベルである。お前ホントに人間か?と問いたいくらいである。

この先も障壁は絶えないだろうが、今現在別の悩みで目を赤くしながらこの日記を書いている自分が、乗り越えられるだなんて到底思えない。多分PMSかPMDDだと思うが、それでもこの悩みは簡単には消えないだろうし、簡単に解決できるものでもないだろう。だがぶち当たったと感じた瞬間に、少しでも理由があるなら、そのてっぺんに向けて梯子を立てるくらいの力を持っていたい。


ただの経験談のはずがこんなに長くなってしまった。

ごめんなさい。


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