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風姿花伝

15世紀初頭、エンターテイメントの秘伝の書が作られました。
世阿弥が記した『風姿花伝』です。

世阿弥は、日本史の教科書で習ったとおり「能を大成した人」として知られています。
その世阿弥が、能における重要なコンセプトをまとめた書が『風姿花伝』です。

もともと、秘伝の書として代々伝えられていたもので、門外不出の書でした。
それが、20世紀に入ってから、学会での発表を通して、一般に広がるようになりました。

『風姿花伝』の内容は、能の修行法や、演技や演出といった内容だけに留まりません。
芸能の市場における、競合との向き合い方についても書かれています。

日本の伝統文化の「能」を主題とした内容ではありますが、様々なエンターテイメントの領域に通ずるものとして、今では幅広く読まれています。


『風姿花伝』は古典のため、現代語訳版も出版されています。
最初は、現代語訳から読み進めると良いと思います。
あわせて、解説書から入るのもオススメです。

この100分de名著シリーズの『風姿花伝』の解説書では、世阿弥の作品がどのようなものだったのかについても触れられています。

今回のnote記事では、その背景についても触れながら、特にコンテンツ制作に役立つ部分をピックアップしてご紹介したいと思います。

世阿弥の作品

まずは、時代背景についてざっくりご説明いたします。
さらに、その時代において生まれた世阿弥の作品の特徴についてもお伝えいたします。

時代背景

世阿弥が生きたのは室町幕府三代目将軍、足利義満の時代でした。

観阿弥・世阿弥親子は京都で行われた興行にて、足利義満からの高い評価を得ます。
そこから足利義満からの強い支援を受けます。

それ以前は、能は寺社における宗教行事と密接に関わっていましたが、この頃から、能は貴族文化との接点を強く持ち始めました。

この市場のニーズの転換点に、世阿弥は向き合う必要がありました。

年功序列だった時代から、「人気」の時代に切り替わったのです。

新結合

観阿弥と世阿弥は、様々な芸能の領域から、色々な要素を取り込んでいきました。

もともとは観阿弥・世阿弥親子は「猿楽」と呼ばれる芸能の興行一座でした。
そこから、「田楽」「白拍子」「曲舞」といった芸能の要素を取り入れていきます。

それが、観阿弥と世阿弥を通して「能」と呼ばれるものに昇華されていきました。

経済学者のシュンペーターが語ったイノベーション理論では、「新結合」が重要とされています。
これは、それぞれ既に存在しているものを組み合わせて、新たな価値を想像するというものです。

観阿弥と世阿弥は、「新結合」によって能をイノベーションしたと言えます。

作品のパターン『二つ切』

世阿弥による作品には、『二つ切』と呼ばれる物語の構成が見られます。

これは、大まかに以下のような流れです。

  • 前半

    • 旅の僧侶がある土地で、見知らぬその土地の人に出会う

    • その土地の人が、土地ゆかりの出来事について話す

    • その土地の人が、「自分がその出来事の人物だ」と語って消える

  • 後半

    • 僧侶が夢をみると、先ほどの土地の人が、夢の中に現れる

    • 夢の中で、昔の出来事が再現される

    • 夜が明けて、僧侶が夢から覚める

このパターンが、能にバリエーションをもたらしました。

テーマにあやかる

その中で扱う出来事として、既存の物語のテーマを流用できます。
特に『源氏物語』や『伊勢物語』は、人気のテーマとされました。

観客は、このパターンを理解しているため、盛り上がりポイントで盛り上がりやすくなります。
そのうえで、「今回はどんなテーマかな」と心待ちにするため、マンネリ化も防ぐことが出来ます。

テーマへの没入

さらに「夢」という装置が、観客を物語の世界へと没入させやすくなります。

興行の特性上、京都という土地で鎌倉の物語を演ずることもあります。
物語の前半では、登場人物に「あそこに見えるのは○○山」「あれは○○寺」のように場所を説明します。

ここで、観客にはARさながら、あたかも物語の土地に入り込んだかのように想像してもらいます。

そこから後半に入り、「夢」という概念を使って、物語の土地の過去の時間に観客をいざなうのです。

受け手の感覚による物語の再現

世阿弥は、この構成によって過去の物語をその場所に再現しました。
TVもDVDもYouTubeもない時代において、舞台の上で物語を再現するというエンターテイメントが能であったと言えます。

この再現において重要視されたのが、受け手の感覚です。

どのように構成し、どのように表現したら、受け手がありありと物語に没入できるか。
それを突き詰めていった結果、生まれたのが能だと言えます。

風姿花伝

では、次に『風姿花伝』で取り上げられている内容について触れていきます。

『風姿花伝』の内容は多岐にわたりますが、特に「機」というものにつながる内容をピックアップいたします。

一調・二機・三声

「一調・二機・三声」は、声の発し方についての心得です。

  • 一調:笛によって調子を整え

  • 二機:機会をうかがい溜めをつくって

  • 三声:声をだす

これは、声の出し方だけにとどまらず、舞い方や足の運び方にも通じます。

ただ声を出したり、舞ったり、足を運んだりするのではありません。
溜めを作ることが重要です。
そして機会を捉えてから動きます。

この機会は、自分だけの機会ではなく、観客の機会でもあります。
他者との関係性を見極めて、「ここぞ」という時に声を発することで、最大の盛り上がりを演出します。

序破急

物語の構成として有名かつ重要な考え方として「序破急」があります。
これは世阿弥によるオリジナルではなく、もともと貴族文化の雅楽から引き継いでいるものです。

  • 序:ゆっくりと始まる導入部分

  • 破:変化が加わって動きがでる部分

  • 急:さらに盛り上がり高揚させる部分

これは物語全体の構成だけでなく、一つのパートの中でも3分割があり、もっと大きく興行全体でも意識されるようなものです。

かるがると機を持ちて

この序破急は、場にあわせて調整されます。

興行師が宴会の途中、場が出来上がっているような空間に、不意に呼ばれることがあります。
このとき「序」から始めると、盛り上がっていた場が白けてしまいます。
観客のテンションにあわせて、「破」から始めることも時としては必要です。

このように観客の「機」にあわせた調整を「かるがると機を持ちて」と表現します。

場は生き物です。
その場のリズムにあわせて一体となり、最大のパフォーマンスを発揮することが、エンターテイナーに求められます。

目前心後

眼、まなこを見ぬ所を覚えて、左右前後を分明に案件せよ。

風姿花伝

自分で自分を見ることはできません。
左右前後の人の眼を通して、自分の姿を見る必要があります。

これは機にも通ずるものがあります。
主観だけではなく客観の視点を必ずもつ必要性を説いています。

すこしだけ心をメタな位置において、場の全体をみることが求められます。

機運

世阿弥は、場には機運というものがあると捉えています。

世阿弥の時代では、能は立会という試合方式で上演されることがありました。
他の一座と、どちらが優れた演芸だったかを競うのです。

ここに、世阿弥がマーケットを意識せざるを得なかった背景があります。

その場には、勝負の波や流れというものがあります。
相手に勢いがあるときもあれば、こちらに勢いがあるときもあります。

この波や流れは、人にはどうにもならないレベルのものであり、逆らうことはできません。

ではどうしたら良いのか。

勢いが相手にある場合は、小さな勝負にこだわらずに力を溜めることに専念します。
きたる大きな勝負に備えて、技を磨くのです。

そして、自分たちに流れが来ている時機を見計らって、自分の得意な芸をだし、観客を驚かせて一気に勝ちを狙います。

秘すれば花

「秘すれば花」という有名な言葉があります。
これは勝負に勝つための戦略論です。

得意技は必要な時以外は見せずに秘密にしておきます。
そして、機運が来た時に一撃必殺として繰り出します。

この隠した花を、手として持っておく必要があります。

一度出してしまっては、効果が薄れます。
そのため、常に新しい「秘すれば花」という技を持ち続けることが重要です


…と、『風姿花伝』の解説書からの学びを記載しました。

『風姿花伝』は、SWCコミュニティメンバーのしらいさんがオススメの部分をピックアップしてご紹介してらっしゃいます。

具体的な内容を知りたいなと思った方は、ぜひこちらをご覧ください!
音声配信版もあります!

また、世阿弥を主人公とした漫画『ワールド イズ ダンシング』もオススメです。
『はじめアルゴリズム』の三原和人先生による作品です(大好き)。


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