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波のまにまに巡り酒 〜祖師ヶ谷大蔵のスペシャル盛り合わせ定食 エピソード3
昼の12時過ぎ、波田 響(はだひびき) は小田急線の電車を降り、祖師ヶ谷大蔵駅のホームに立った。
改札を抜け、駅前のロータリーへと出る。
「祖師ヶ谷大蔵……たぶん初めて降りた駅だな」
そう思いながら、周囲を見渡す。
大きな商業施設があるわけでもなく、都心ほどの喧騒もない。けれど、どこか穏やかで落ち着いた雰囲気がある街並みだ。
駅前には飲食店や昔ながらの商店が並び、少し歩けば閑静な住宅街へと続く。
ふと、商店街の入口に目をやると、「ウルトラマン商店街」と書かれた看板が目に入った。
「ウルトラマン……ああ、円谷プロのスタジオが近くにあったんだっけ」
そういえば、昔テレビで聞いたことがある。子供の頃に夢中になったヒーローたちの生まれた場所が、このあたりだったのか。
なんとなく感慨に浸りながら、しばらく駅前の景色を眺めていたが、そろそろ仕事モードに戻らなければならない。
スマホで時刻を確認すると、12時10分。予定は12時半だ。
「そろそろ行くか」
駅前のタクシー乗り場へ向かう。
タクシーは数台停まっていたが、運転手は皆、窓を開けて新聞を読んだり、ラジオを聴いたりと、どこかのんびりした空気を漂わせていた。
そのうちの一台のドライバーが、波田が近づくのに気づいてドアを開けた。
「ご乗車ありがとうございます、どちらまで行かれますか?」
「狸(たぬき)スタジオまでお願いします」
「かしこまりました」
ドライバーは軽く頷き、メーターを倒して発進した。
タクシーが駅前を抜け、ゆるやかに住宅街へと入っていく。
「狸スタジオですと水道道路を通りますね」
「ああ、それでお願いします」
住宅街の細い道を抜けると、徐々に道幅が広くなり、水道道路に入る。両側には低めの建物が並び、時折、静かな住宅街が垣間見える。
「狸スタジオにはよく行かれるんですか?」
ハンドルを握りながら、ドライバーが静かに問いかけた。
「いや、初めてですね」
「そうでしたか。撮影関係のお仕事で?」
「まぁ、ラジオの宣伝ですね。打ち合わせで行くんです」
「ああ、そうなんですね。狸スタジオはテレビの撮影だけじゃなく、ラジオ収録やイベントも多いですからね」
波田は「なるほど」と軽く相槌を打ちながら、車窓の景色に目を向けた。
水道道路沿いには、小さな商店や住宅が混在し、ところどころに古い喫茶店や飲食店が点在している。
「この辺りは落ち着いた雰囲気ですね」
「そうですね。祖師ヶ谷大蔵や成城のあたりは、撮影関係の人もよく利用するお店が多いんですよ」
ドライバーは穏やかに話しながら、流れるような運転で車を進めていく。
やがて、狸スタジオの大きな敷地が見えてきた。
「到着いたしました」
料金を支払い、車を降りる。
目の前には、巨大なスタジオ施設が広がっていた。
「さてと、……」
波田は深呼吸をしてから歩き出した。
広い敷地の入り口には、しっかりとした門があり、その横には詰所がある。
門の前には警備員が立っており、出入りする車や歩行者を注意深く見ていた。
波田は門へ向かい、警備員に声をかけた。
「すみません、本日こちらで香山という者と打ち合わせをするのですが」
警備員は軽く頷き、手元の名簿を確認するような素振りを見せた。
「香山様……香山、香山さまですね、…」
「ええ、12時半頃に会う予定になっています」
「かしこまりました。それでは、正面の建物に受付がございますので、そちらでお手続きをお願いいたします」
警備員が門を開け、波田はスタジオの敷地内へ足を踏み入れた。
敷地内は想像以上に広かった。
スタジオの建物は幾つかに分かれており、大きな撮影用の倉庫のようなものも見える。
スタッフらしき人々が出入りしており、機材を運ぶ人、談笑しながら歩く人、台本らしきものを手にした人など、それぞれが忙しそうに動いている。
「なるほど……ここでいろんな番組や収録が行われてるのか」
少し周囲を見渡しながら、波田は受付のある建物へ向かった。
中に入ると、天井が高く、開放的なロビーが広がっていた。
正面には受付カウンターがあり、数名のスタッフが対応している。
波田は受付へ進み、案内係の女性に声をかけた。
「すみません、香山という者と12時半頃に会う予定で来たのですが」
受付の女性は軽く会釈し、端末で何かを確認する。
「香山様ですね。お名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「波田です」
「波田様……かしこまりました。少々お待ちください」
受付の女性はインカムで何かを伝えた後、微笑みながら言った。
「香山様にご連絡いたしましたので、ロビーでお待ちいただけますか?」
「ありがとうございます」
波田は礼を言い、近くのソファに腰を下ろした。
ロビーは思ったよりも静かだった。
波田はスマホを取り出し、時刻を確認する。
「12時25分か……」
予定の時間までは、あと少し。
その時——
「おーい、波田!」
ロビーの奥から、馴染みのある声が響いた。
顔を上げると、黒のジャケットにベージュのパンツというラフな格好の男が歩いてくる。
香山だった。
「久しぶりだな!」
「おお、香山。相変わらず元気そうだな」
「まあな。今日はわざわざ来てくれてありがとう」
香山は気さくな笑顔を浮かべ、波田の肩を軽く叩いた。
「別府さん、いるぞ。こっちへ案内するよ」
香山は妙なプレッシャーをかける感じで俺に言った
「いよいよか……」
波田は立ち上がり、香山の後を追った。
いよいよ、別府哲也さんとの対面だ——。
香山に案内され、スタジオ内の楽屋へと向かう。
廊下には番組制作スタッフらしき人々が行き交い、どこか活気が漂っている。
「ここだよ」
香山がドアを開けると、部屋の奥のソファに座っていた男が顔を上げた。
目が合った瞬間、波田は思わず背筋を伸ばす。
別府哲也——。
テレビやラジオで何度も見聞きしてきたあの人が、目の前にいる。
だが、そんな緊張を吹き飛ばすかのように、別府は満面の笑顔で立ち上がった。
「おおー!波田さんですね!別府です、初めまして!」
柔らかく重厚な声のトーンとともに、にこやかに手を差し出してくる。
「は、はい!UBSラジオの波田と申します!」
波田は少しぎこちなく握手を交わす。
「いやぁ、嬉しいなぁ!香山っちから聞いてるよー、僕のラジオ、聞いてくれてるんだって?」
「は、はい……!」
「嬉し〜なーー、いやぁ、感激!」
別府は楽しそうに笑い、ソファへ腰を下ろした。
波田も勧められるままに席につくが、まだ心臓の鼓動が速い。
テレビで見ていた人と、こうして直接話す日が来るとは——。
「今日も生放送あってね、聴いてくれてた?」
「もちろんです!」
「ホント⁈、いやー、もう長年やってるのに、やっぱりラジオって楽しいよね。」
「別府さんのラジオ、いつも本当に楽しそうですよね」
「そりゃ楽しいよ!だって、みんなで作るTOKYO EVENING RADIO だからね。リスナーからのメッセージに答えるのも面白いしね。波田くん、ラジオ業界にいるんだからわかるでしょ?」
「ええ、確かに……!リスナーの反応がダイレクトに伝わるのが、ラジオの魅力ですよね」
「そうそう!テレビとはまた違うよね。テレビだとカメラがあるからちょっと意識しちゃうけど、ラジオはスタジオの中だけで完結するから、すごく自由!」
別府は少年のような目を輝かせながら話す。
そのテンションにつられてか、波田の緊張も徐々に解けてきた。
「でもねぇ、今日はこれから『ここが変だよケンミンショー』の収録があるんだよ!」
「おお、まさに今からなんですね!」
「そう!静岡県代表として出るんだけどね、別府はねぇ、黒はんぺんの魅力を全国に伝えようと思ってるの!」
「黒はんぺん、いいですねぇ!おでんにも最高ですよね」
「そうそう!でも東京ではあんまり知られてなくてね……『なんで黒いの!?』って驚かれるんだよ!」
別府は身振り手振りを交えながら、熱く語る。
「しかも、あの番組ってどの県も個性強すぎるじゃない?だからこっちも負けじと盛り上げるんだけど、気づいたら『静岡は海も山もあるんだぞ!』とか熱弁しちゃいそうでね、そこは『頭は冷静に心は熱く』、大谷翔平くんのあの言葉を守ってね。」
「あはは、でもめちゃくちゃ面白いですよ!」
「ありがとう!まぁ、ああいうのも含めて楽しんでるんだけどね!」
会話は自然とプライベートな話へと広がっていった。
別府さんは相変わらず快活で、どんな話題にも興味を示し、楽しそうに耳を傾ける。
「波田くんはラジオ業界で働いてるんだよね?どんな仕事をしてるの?」
「僕はUBSラジオの営業です。クライアントに広告を提案したり、スポンサーを見つけたり、番組とのタイアップを企画したり……まあ、裏方の仕事ですね」
「なるほど、そういう人がいるから、僕らは好きに喋れるんだなぁ」
「いやー、そう言ってもらえると嬉しいです」
「じゃあさ、最近のラジオ業界ってどんな感じなの?やっぱり広告とかって、昔より難しくなってる?」
「確かに、テレビやネットに広告が流れる時代ですからね……でも、ラジオならではの良さを理解してくれる企業も多いですよ。例えば、地元密着型の企業は、地域ごとのリスナーに向けた宣伝ができるので、効果が高いんです」
「おお、なるほどねぇ……!」
別府は目を輝かせながら頷く。
「いやぁ、面白いねぇ。こういう裏側の話、僕はすごく興味あるんだよ!」
波田は、別府哲也がただの「話し上手な人」ではなく、どんなことにも好奇心を持ち、心から楽しむ姿勢を大事にしているのを感じた。
だからこそ、彼のラジオやテレビ出演は人を惹きつけるのだろう。
プロのエンターテイナーは、どんな話題でも「楽しく話す力」を持っている。
——そんなことを、波田はぼんやりと考えていた。
楽屋での会話は、思った以上に盛り上がった。
別府哲也さんは、本当にどんな話でも楽しそうに聞いてくれる。
プライベートなことも、仕事のことも。
そして、相手が話しやすい空気を作るのが、何より上手かった。
「いやぁ、波田くんと話せて楽しかったよ!」
別府は明るく笑いながら、時計をちらりと見る。
「そろそろ僕もスタジオに向かわないと。『ここが変だよケンミンショー』の収録、がんばってくるよ!」
「ありがとうございます!放送、楽しみにしてます!」
「おお、それは嬉しいなぁ!」
別府は満面の笑みを浮かべたあと、ふと真剣な表情になり、軽く拳を握る。
そして——
「色々あるけどさ、ご機嫌は自分で作るもの。
Have a great day ! And don’t forget your smile !」
それは、別府哲也さんがラジオの締めで必ず言う、彼の決め台詞だった。
生で聞くその言葉に、波田は一瞬、言葉を失う。
けれど、次の瞬間には自然と笑みがこぼれた。
「……はい!」
別府は「よし!」と頷き、軽く手を振ると、スタジオの奥へと消えていった。
香山は別府を見送り、そのままスタッフと何か話している。
波田は特に声をかけず、静かに楽屋を出た。
狸スタジオを後にし、外へ出ると、すっかり昼下がりの空気になっていた。
風は少しひんやりしているが、日差しは暖かい。
「……さて」
狸スタジオの敷地を出ると、波田はスマホを取り出し、現在地を確認した。
「このあたり、詳しくないけど……どこで飲むかな」
まだ時間はある。
というか、この日のために前日までに仕事を片付けておいたのだ。
だから、次の予定は特にない。
そして——昼飯をまだ食べていない。
朝から何も食べていないわけではないが、狸スタジオでの緊張感もあって、胃がすっかり空になっている。
「とりあえず、何か食べつつ飲める店を探すか……」
駅前に行けばそれなりの飲食店はあるはずだが、すぐに決めてしまうのも面白くない。
少し散策しながら、「ここだ!」と思える店を見つけることにしよう。
波田はゆっくりと祖師ヶ谷大蔵方面へと歩き出した。
昼下がりの陽射しがやわらかく、風も心地よい。
歩道を歩く人の流れも穏やかで、どこかのんびりした空気が漂っている。
住宅街を抜け、商店がちらほらと見え始めるエリアに入ると、少しずつ飲食店の姿も増えてきた。
だが——
「うーん……なんか、ピンとこないな」
ラーメン屋、そば屋、インドカレー屋……どこも悪くはない。
けれど、「ここだ!」と思える店がない。
「腹は減ってるんだけどなぁ」
時計を見ると、14時 を回っていた。
思ったよりも歩いたな、と波田は少し足を止める。
目の前にあるのは、黄色い看板が目を引く洋食屋——「キッチン イエロー」。
ランチタイムのピークは過ぎ、店の前は静かだ。
波田はガラス越しに店内を覗く。
「空いてるな……」
昼時を過ぎたおかげで、店内の客はまばらだった。
カウンター席にはひとり客が数人、テーブル席は奥の方に一組いるだけ。
ゆっくり食事ができそうだ。
「よし、ここにしよう」
波田はドアを開け、店内へ足を踏み入れた。
「いらっしゃいませー」
店員がにこやかに声をかける。
厨房には、年配のシェフらしき男性と、若い男性スタッフの二人。
「お好きな席へどうぞ」
波田はカウンターに腰を下ろし、ふぅっと小さく息を吐いた。
洋食屋らしいどこか懐かしい香りがふわりと漂う。
バターの香り、揚げ物の衣が弾ける音、厨房から聞こえるリズミカルな包丁の音——
なんとも食欲をそそる空間だ。
店内は落ち着いたトーンの木目調。
カウンター席は厨房に面して並び、その奥には数席のテーブルが置かれている。
壁には、手書きのメニューがラミネートされたものがいくつか貼られていた。
歩き回って火照った体が、店内の穏やかな空気に包まれる。
まずは、一杯だ。
「とりあえずビールだよな……」
目の前のドリンクメニューに目を落とすと、瓶ビールの欄に 「サッポロ黒ラベル」 の文字がある。
「おっ、黒ラベルか。いいね」
思わず口角が上がる。
「すみません、瓶ビールをとりあえずお願いします」
「はい、瓶ビールですね!」
店員が軽快に返事をし、冷蔵庫から瓶ビールを取り出す。
目の前に置かれたのは、キンと冷えた黒ラベル。
それと、しっかり冷えたジョッキ。
ラベルを眺めながら、栓を抜かれる音が響く。
「お待たせしました」
波田はジョッキを手に取り、瓶を傾けた。
黄金色の液体が流れ込み、泡がゆっくりと立ち上る。
静かに口をつけ——
ゴクリ。
苦味とコクのバランスが絶妙で、喉を冷やす爽快感が疲れた体内に染み渡る。
「……くぅ、うまい」
昼間のビール。
これ以上の贅沢はない。
さて、メインは——。
波田は店員に渡されたメニューを開く。
メニュー選び——悩む時間もまた楽しい
「さて、何にしようか……」
ランチメニューのページを開くと、定番の洋食メニューが並んでいた。
ハンバーグ、チキンカツ、カニクリームコロッケ、オムライス……
どれもうまそうだ。
「ハンバーグもいいな……いや、カニクリームコロッケってのもアリだな。でも、チキンカツもいい……」
迷う。
完全に迷う。
これはもう、「優柔不断」というより「どれを選んでも間違いないからこそ決められない」という状態だ。
「うーん……」
壁の方に視線を向けながら、少し考える。
すると——
「スペシャル盛り合わせ」 という手書きのメニューが、ふと目に入った。
「お好きな3品を選べます!」
その下には、手書きの番号とともに、選べる料理のラインナップがずらりと並んでいた。
1. エビフライ
2. ヒレカツ
3. チキンカツ
4. 串カツ
5. クリームコロッケ
6. しょうが焼き
7. 白身魚フライ
8. ロースカツ
「おお、これいいじゃん」
好きなものを3つ選べる というのは魅力的すぎる。
「さて、どれにするか……」
さっきまで「ひとつを選ぶ」という難関に直面していたのに、ここで突然「3つ選べる」という展開になり、一気に気が楽になった。
だが、だからといって即決できるほど簡単でもない。
「ヒレカツかロースカツか……カツ系で攻めるのもアリだし、エビフライ入れるのもいいな……」
しばらく考えた末に、波田は決断した。
「すみません!」
店員がすぐに応じる。
「はい!」
「このスペシャル盛り合わせで、エビフライと、串カツと……しょうが焼き をお願いします」
「エビフライ、串カツ、しょうが焼きですね!ライスと味噌汁も付きますが、ライスの量はいかがされますか?」
「普通盛りでお願いします」
「かしこまりました!」
店員がオーダーを通すと、厨房の奥で「エビ1、串4、しょうが6入りまーす!」と響く声。
鉄板の上で油が弾ける音がし、ジュウジュウと肉の焼ける香りが立ちこめる。
「こりゃ、楽しみだ」
波田は、もう一口ビールを飲みながら、静かに料理を待った。
オーダーを終えると、店内は再び落ち着いた空気に包まれた。
時計を見ると、もう14時半に差しかかる頃。
ランチのピークはとっくに過ぎ、客はまばらだ。
カウンターの奥には、年配のシェフが黙々と作業を進めている。
フライヤーの中でパン粉をまとった何かが、じゅわっと油に沈められる音がする。
カリッ、カリッ、トン、トン……。
包丁がまな板をリズミカルに叩く音、鉄板の上で弾ける脂の音。
それが、店内のBGMのように心地よく響く。
ふと、カウンター越しに厨房の様子を眺めると、シェフが流れるような動きで食材を扱っていた。
エビフライの衣をつける手さばきは、もはや職人技。
片手で卵液をくぐらせ、小麦粉をまとわせ、パン粉をふわりと均等につけていく。
「お、今のが俺のエビフライか……?」
続いて、鉄板の上には生姜焼き用の豚肉が乗せられた。
ジュワッ……と肉が焼ける音が広がり、甘辛いタレの香りがカウンター席まで届く。
この香りだけで、もう一杯飲めそうだ。
波田は、ジョッキを手に取り、残りのビールをゆっくりと喉に流し込んだ。
グラスの中のビールは、もう半分ほどになっていた。
「料理が来る前に、もう一本頼むのもアリか……?」
一瞬そんなことも考えたが、まずは料理が届いてからだ。
このタイミングで焦るのは、少し違う気がする。
——焦らず、じっくり。
波田は、カウンターの木目を指でなぞりながら、静かに料理を待った。
ついに、料理が運ばれてくる
「お待たせしました!」
厨房の奥から、店員がトレイを持ってやってくる。
そして、目の前に置かれたのは——
スペシャル盛り合わせ(エビフライ・串カツ・しょうが焼き)。
皿の上に並ぶ黄金色のフライと、照りのある生姜焼き。
その横にはキャベツの千切りとポテトサラダが添えられ、味噌汁とライスもセットでついてくる。
——これは、間違いなく「正解」だ。
波田は、思わず笑みを浮かべた。
「さて、どれからいくか……」
まずは、エビフライか? 串カツか? それとも生姜焼きか?
波田は、迷いながらも箸を伸ばした——。
皿の上には、黄金色に輝くエビフライ、サクサクの衣をまとった串カツ、そして甘辛いタレが絡んだしょうが焼き。
どれもうまそうだが、一発目はやはり——。
エビフライ。
タルタルソースをたっぷりつけ、箸で持ち上げる。
衣はふわりと軽く、しっかりと油をまといながらも余計な重さは感じさせない。
「……よし」
口に運ぶと——
サクッ。
続いて、エビの身が ぷりっ と弾ける。
衣の香ばしさと、海老の甘み。
そこに、まろやかなタルタルソースが絡み合う。
「……これだよ」
一口で、わかる。
これは、まさに王道のエビフライだ。
付け合わせのキャベツを少しつまみ、すかさずビールを流し込む。
「……くぅ、最高か」
揚げ物とビール。この組み合わせを考えた人間に、感謝したい。
次に、串カツ。
ソースをたっぷりと絡ませ、頬張る。
サクッと軽快な食感の後に、豚肉のジューシーな旨みがじわりと広がる。
ソースの酸味がちょうどよく、衣と肉のバランスも完璧だ。
「串カツも、アリだな……」
これまた、ビールを呼ぶ味。
波田は迷うことなくビールを飲む。
苦味と炭酸が、揚げ物の脂を一気に流し込む。
「……うまい」
独り言が漏れる。
昼間のビールが、こんなに染みるとは——。
そして、しょうが焼き。
甘辛いタレが絡んだ豚肉を、一枚持ち上げる。
光沢のあるソースが、ほどよく脂の乗った肉に絡みついている。
口に運ぶと、ジュワッと肉汁が広がる。
「これは、絶対にご飯と一緒だな」
一気に、かきこむ。
「……っ、うまい」
そう思いながら、自然と右手はしょうが焼きを白飯の上に乗せていた。
タレがじんわりと米に染み込んでいくのを確認してからまた白飯をかきこむ。
止まらんなー。しょうが焼きとライス、まるで食欲に支配された振り子時計だ。
噛んだ瞬間、甘辛いタレと生姜の風味が広がる。
脂身のコクが、米の甘みと絡み合い、どんどん箸が進む味だ。
「しょうが焼きと米は永遠のパートナーだな…」
一口、また一口。
気づけば、ご飯の減りが異様に早い。
箸を止めずに、すかさず味噌汁へと手を伸ばす。
ゆっくりと口をつけると、ふわりと味噌の優しい香り が広がった。
「……はぁ」
豚肉のコクと甘辛いタレの後に、この味噌汁が入ることで、口の中が絶妙にリセットされる。
塩気もちょうどいい。
まるで、全て計算され尽くしたような組み合わせだった。
もはや、ご飯と味噌汁だけでも無限に食べ続けられる気さえする。
波田は思わず満足げに頷いた。
もう一杯、いくか……?
しょうが焼きを平らげた後、ふと手元のメニューを見直す。
改めて眺めてみると——
「ビール(中瓶)」の下に、「お酒 500円」 の文字が目に入った。
「お酒……?」
さっきはビールに目を奪われて気づかなかったが、これは何を指すのだろうか。
気になった波田は、近くにいた店員に声をかけた。
「すみません、この『お酒』って何があるんですか?」
店員はにこやかに答える。
「あ、グラスワインもありますよ!」
「おっ、ワインもあるんですね」
波田は即決した。
「じゃあ、白のグラスワインをください」
「かしこまりました!」
注文が通ると、すぐに白のグラスワインが運ばれてくる。
白ワインと洋食——これも、悪くない。
波田はグラスを手に取り、ゆっくりとワインを口に運んだ。
——これもまた、正解だ。
昼間から贅沢な時間を過ごしている。
そんな充足感に包まれながら、波田はグラスを傾けた。
白飯が尽きる頃には、腹は十分すぎるほど満たされていた。
軽く背もたれに寄りかかり、グラスに残った白ワインをゆっくりと口に運ぶ。
エビフライのサクサク感と、白ワインの爽やかな酸味が絶妙に合う。
衣の香ばしさが、ワインのフルーティーな後味でリセットされる感覚。
「ほう……こりゃいいな」
さらに、タレの絡んだしょうが焼きにも白ワインを合わせてみる。
甘辛い味と生姜の風味が、意外にもワインのスッキリとした後味と馴染む。
「ビールとはまた違う楽しみ方だな」
最後の一口を味わいながら、グラスを静かに置いた。
——ごちそうさま。
会計を済ませ、カウンター越しに店員へと一言。
「いやぁ、最高でした。しょうが焼きとエビフライ、どっちが主役かわからなくなりましたよ」
店員は笑いながら「ありがとうございます!」と応じる。
厨房のシェフも「またどうぞ!」と声をかけてくれた。
こういう一言が、また次に来たくなる理由なんだよな。
店を出ると、昼下がりの風が心地よく頬を撫でる。
時間はもう15時近い。
「さて、どうするか……」
このまま帰るのもいいが、せっかくならもう少し街を歩いてみたい気もする。
食後の余韻に浸りながら、ゆっくりと歩き始めた。
いい店は、いいタイミングで現れるもんだ。