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今はフリーターをやっています。ニノがやっていたアレです。

小学校の卒業文集を引っ張り出した。

「将来の夢は、バドミントンの選手か、コーチか、理学療法士になることです。」

やりたいことが多いのは結構だが、文集に書く夢の数の相場は一個だろう。夢に溢れた少女は十三年後(じゅうさんねんご!?)いずれの職にも就かずフリーターをやっている。

小学校二年生の時、肥満児だった私は地元のバドミントンクラブにやや強引にぶち込まれることになる。「バドミントンの体験楽しかったよね!?」と詰め寄る母に「うん」と返事をしたらいつの間にか入団することになっていた。
上手くなるにつれて増えていく練習日程。まぐれで全国三位をとってしまった為に学校が休みの日も県の選抜合宿に参加したり、高学年になってからは週五、六日はバドミントンのために使っていた。
趣味も特技も卒業文集もバドのこと。バドは私を構成する重要なパーツになっていった。

ちょっと時間を進めて中学生になった私は進路指導の一環で将来設計図みたいなものを書かされていた。
「三十歳 作った映画が大ヒット!そのお金で家を建てる」
私の設計図通りなら五年後に若手天才映像クリエイターが爆誕するのだが、それはさておき
お前、バドミントンはどうした?

数ヶ月前までバドで食ってくって言ってたじゃねえか!

我ながら訳わからんが、私はこの期間に反抗期のピークを迎え「バドなんて糞食らえだよォ!」と大人やモノに当たり散らかしたかと思えば「文章で自分を表現するのって楽しい!」と先の見えないほっそい道に照準をあわせようとしていたのだ。

ただ、中学の頃から創作をやっていたのかといえばそんなこともなく、部活と勉強と暴れ狂う自我の世話で手がいっぱいだった。

ありがたいことにスポーツ推薦で高校へ入学し、悩む間もなく引き続きバド部へ入部。この頃には県の選抜からは見向きもされなくなっていて、時間と心にやや余裕ができた。
そんな時にハマったのがお笑い。「よしもと」の存在を意識するようになる。
高校二年生の時に家族で行った焼肉屋で、卒業後は作家になるからよしもとのスタッフ養成所に通いたいと持ちかけた。返事はNO。大学に行くお金はあるから四年間考えてからまた決めればいいとのことだった。特に学びたいこともなかったのだが母の提案で英語を扱う学部を目指すことに。
三者面談でその旨を伝えたところ担任(担当教科が英語)に「英語の先生になるのはねぇ!すごく大変なんですよ!わかってるんですか!?」とキレられたのをいまだに根に持っている。
英語の先生になるなんて一言も言っていないのに。帰りの車の中、ストレスでパンを三つ食べた。

無事に高校を卒業し、部活と勉強頑張った推薦で大学へ進学した私はある意味運命の出会いを果たす。
Mちゃんがいたのだ。Mちゃんとは私が高校時代に一回もバドで勝てなかった他校の女の子。大学の入学式で私を偶然見つけてくれ、それをきっかけに私たちはすぐに仲良くなった。(元気〜?)
サークルやら部活やらの勧誘が始まる時期、彼女はすでにバドミントン部への入部を決めていた。
その楽しそうな様子を見て、私はバドをやめることを決意した。
肩からスッと何かが降りた感覚はいまだに覚えている。
彼女に再挑戦したいとか、大学バドはもっと頑張りたいとかそういう欲が全く湧かなかった。競技への未練がないことに気づいてしまった。
私は酒飲みが集まる軽音サークルへ入る。

大学の就活支援の人に「よしもとに行くので就活は一切しません」と伝えると「お笑い芸人になるんですか?」とニヤニヤしながら聞かれた。
「違うス。裏方の養成所ス」と答えて私の進路活動は終了。
周りが新社会人として羽ばたいて行く中、単身大阪の地で一年間、よしもとのスタッフ養成所(YCA大阪)に通いながらサメとか恐竜とか魔法使いとかがいる遊園地でバイト生活をした。

養成所を卒業後、大阪を出て今度は東京へ。
舞台の台本を書きながら、世界一有名なネズミがいる遊園地でバイトをしている。
そして今、誰かの目に止まれ止まれと念を込めながらこちらを書いた次第だ。

ラケットを握らなくなってどれくらい経つだろう。用具は全て実家にあるけれど、どのように仕舞われているかもわからない。
あの時、だるま落としみたいに自分の中から突然スコンと抜いたバドミントン。手放しても案外生きて来れてしまったな。あんなに必死だったのに。

かつて一緒にコートに立っていた子たちも、働いていたり、結婚して子供ができたり、それぞれの道を進んでいる。バドミントンがアイデンティティだた私たちは、全然そんな過去ありませんって顔をして生きていく。


十三年前の私へ
あなたが卒業文集に書いた職業のどれにも就けませんでした。今はフリーターをやっています。ニノがやっていたアレです。
必死でやっている全てのことに意味があるかはわかりません。でも、インターネットに浮かべる記事の糧にさせてもらいました。ありがとうね。


私が映画で家を建てるまであと五年。




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