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下海瀬こぼれ話(集落の話の聴き手だより11月号)

写真で語る青年団の思い出

 阿部一太郎さんは青年団で過ごした青春時代の話をしてくれました。

 「この写真は、下海瀬青年団が上諏訪にある片倉館の温泉施設に行った時に写したものです。昭和28年の6月に撮った写真です。お田植えあとの慰労会だと思うけんどね。千曲自動車(現在の千曲バス株式会社)のバスを借り切って、和田峠を越えて行きました。昭和27年3月に海瀬村立中学校を卒業して、先輩に勧められて入団しました。その当時の青年団は奉仕活動が活発でした。山の下草刈り、秋の稲刈りの手伝い、春・秋のお祭りののぼり旗立て、種もみの消毒、神社参道の掃除、お盆の門灯篭の張替え等々、そりゃあいろいろ奉仕活動をしたもんです。下海瀬にあった田んぼの多さは豊かさの象徴でした。」

 「この写真は、青年団の有志で自転車で善光寺まで行った時のものです。私が言い出しっぺで、『おい、善光寺まで自転車で行かざい!』と呼びかけて、男5人、女衆3人で行きました。自転車だって今のような軽快車じゃなくて、黒い重い自転車でした。6月頃だったと思うが、まだ朝は肌寒かった。途中でパンクしたら困るので、ポンプと修理器具を持って行った。お昼には善光寺に着くという予定だったので、朝早く出発しました。千曲川の西側の道をひたすら戸倉まで走りました。その後国道に出て善光寺に着きました。5時間はかかったと思います。お昼は善光寺裏の公園で、持参したおにぎりを食べた記憶があります。その後、動物園に寄って、暗くなってから帰って来ました。若かったからできたと思います。大変だという思いは全くなかったです。」

動物園に立ち寄った時の女性3人の後ろ姿

 「この写真は白駒池まで登った時に写しました。昭和40年頃の8月だったと思うが、俺が、『行かっちゃねいかい』と青年団の有志を誘って登った。写真には写っていないが、女衆も参加した。小海までディーゼル車に乗って行き、稲子温泉まではバス。そこから登山道で白駒池まで登った。池の周りの細い道には登山客が結構いました。おにぎりと水筒を持参したけんど、途中の清水が湧き出たところでは、水を飲んだ。直接口をつけて飲んじゃいけねえ。野ブキの葉をスプーン状に丸めてすくって飲むのが一番。水の中に交じりものがあるから、それを取り除いてからじゃないとだめだからな。山登りが好きだったから、山岳救助隊員を15年やった。」

 青年団でいろいろな奉仕活動をしてきた一太郎さんは、退団する頃には青年団活動が下火になってしまったことを残念だと言う。


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