畑ヶ中こぼれ話(集落の話の聴き手だより9月号)
海瀬郵便局と共に 新海﨑子さん(94歳)
新海﨑子さんは、旧望月町布施で生まれた。結婚相手が20歳で海瀬郵便局の局長になった人である。「当時、局員は10人くらいいました。自分の父親か祖父くらいの年齢の人ばかりでしたので、夫の気苦労は絶えなかったと思います。毎晩、深夜の1時か2時に家に戻ってきました。仕事を早く覚えなくてはいけないと思ったのでしょう。一生懸命努力をしていました。義父が過去に海瀬村村長の職に就いた事もあり、公職追放(戦後GHQの指令により、重要な公務から特定の関係者が公職に就くことを禁止された占領政策)にあい、局長として勤務ができないため、急遽学生であった夫を東京から呼び戻し、局長にしたようです。」
自宅の敷地内に現在も残っている木造の郵便局がある。最初の郵便局は、川久保にあった。川久保にあった郵便局のことは覚えていないという。
「結婚後、怖かったのは、昭和34年の伊勢湾台風です。庭に植えてあったリンゴの木が根元から強い風にあおられてくるくる回ったり、縁側の雨戸が弓のように曲がったり、裏手の板塀は全部倒されました。」と﨑子さんは当時を思い出して語ってくれました。
海瀬郵便局には、10人も局員がいたので、祝い事があればよく飲み会をしたり、家族旅行と称して、曽原にある温泉に行ったそうです。
「4,5年前になりますが、玄関門の鬼瓦に雷が落ちました。『ど~ん』と大きな音がしたので、翌朝見に行くと瓦がばらばらに壊れてました。ご近所さんにも雷の影響があったようです。怖いですよ雷は。」
楽しい思い出はありますかと尋ねると、「夫は仕事一筋でしたが、家族でドライブや旅行に行くことが、私も夫もとても好きで、国内の色々な所で撮った思い出の写真がいっぱいあります。家族旅行以外では定年退職を機に同じ年に退職した局長夫妻と一緒に海外旅行をしたことが、一番の思い出です。団体旅行を含め、色々な国に行きました。私はヨーロッパが一番良かったです。歴史を感じさせてくれ、特に芸術の都パリは町の景色そのものが美しく特別でした。」と、旅行当時を懐かしむように、楽しそうに﨑子さんは語ってくれました。
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