八郡こぼれ話(集落の話の聴き手だより7月号)
「集落の話の聴き手だより7月号」は読んでいただけましたでしょうか。7月号では、八郡地区のサロンでお聴きしたお話を取り上げさせていただきました。「集落の話の聴き手だより」は、今年度は町内へ集落の魅力をお伝えすることを目的にお届けをしています。しかし、八郡では多くの方からお話が聴けたので紙面の都合により入りきらなかったお話がありました。「これはもったいない!」ということで、特別に八郡限定でお届けします。
山浦商店でお買い物
みなさんのお宅ではお年取りは何を食べますか?やはり鯉でしょうか。佐久地域以外の方とお話をすると、スーパーに鯉の切り身が売られる様子はとても衝撃的なようですが、八郡ではもちろん鯉が多数派のようです。サロンでお年取りから話題が出たときには、「私らの頃は、まだ車も免許も持ってなくて、山浦商店に鍋を持って鯉を買いに行ってさ。」「山浦商店で、いけすが作ってあって。道端に川があったからその水を入れてね。注文があったら切ってくれて。」と教えてくださいました。
鯉料理といえば「鯉のうま煮」と「鯉こく」が定番ですが、唐揚げやあらいもおいしいですよね。
伝説の男「山浦寅吉さん」と集団検診
八郡での「集団検診」は、全国で初めて行われたことで有名です。平成15年にNHKの「プロジェクトX」でもその模様が取り上げられたことがサロンでも話題に。「プロジェクトXで『その時、一人の男が立ち上がった』って出たのが、とら兄だと思うんだ。すごい人だった、伝説の人。」「白駒の池の青苔荘を作った初代の人だ。」と、お話が始まりました。
最近の集団検診は茂来館や福祉センターで行っていますが、少し前までは、八郡公民館で行っていたそうです。馬越や大石の方も八郡公民館に来ていたそうです。さらに、集団検診が始まった頃は、福正院の横にあった蚕の飼育所の2階で行っていたんだとか。飼育所は、当時の公民館よりも広く、集落全体の会議や、映画の上映会なども行っていたそうです。
伝説の男「寅吉さん」は残念ながらお亡くなりになっていますが、寅吉さんの建てた青苔荘へ行ってみたくなりました。
浅井の後家さん
国道299号から、八郡へ右折すると大きな石碑が目立ちます。サロンに参加された皆さんに伺うと、「浅井の後家さんの供養塔」と教えていただきました。「浅井の後家さんのことは『南佐久郡誌』に詳しく書かれているから読んでごらん。」とのことで、早速、佐久穂町図書館(茂来館)へ行ってみました。
古い『南佐久郡誌』には、浅井の後家さんが、江戸時代「天明の飢饉」の際に、飢えて苦しむ村の人々にお米や大麦を自分の家の蔵から何度も配ったと書かれていました。当時の既婚女性は「○○妻」としか記されず、「浅井吉之丞の妻」でしたが、夫が病死して寡婦になっていたため「浅井の後家さん」と呼ぶそうです。八郡には、立派な方がいたんですね。
図書館の司書さんに聞いてみると、供養塔が建てられたのは後家さんが存命中のことで、これには別の言い伝えがありました。上州から浅井家に働きにきていて亡くなった女中さんを供養するためのものだとか。家運が栄えることを願って法華経千部を読誦したというものです。ともに浅井家にまつわるお話で、かつ江戸時代の頃の出来事なので、口伝のうちに話が混ざってしまったのでしょうか。地域の皆さんのお話をきっかけに調べてみることができ、とても興味深かったです。
八郡地区は、古くからあると皆さんおっしゃいますが、江戸時代から歴史のある地区なんですね。サロンの皆さんのアットホームな雰囲気も素敵で、私も八郡が大好きになりました。歴史ある八郡が今後も元気のある集落であり続けてほしいです。
文 川嶋愛香
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