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当時の宮前橋と天神橋周辺 それぞれの景色 天神町(集落の話の聴き手だより11月号)

今月は…天神町!

語り手  輿水 洋一さん
青木 哲子さん
輿水 正博さん
出浦 正任さん

・ 水を楽しみ、水に苦労した暮らし
・当時の楽しみは、夏は水遊び、冬はスケート
・天神森には、江戸の名残『御制札ごせいさつ』が保存


 八千穂駅と千曲川に挟まれた集落、天神町。旧八千穂小中学校や、黒澤酒造など、町民にもお馴染みの場所があり、のどかな田園や歴史ある民家も残っています。北側を「境田」地区、南側を「樋口」地区と呼んでいます。今回は樋口地区にお住まいの皆さんに、地域のことをお伺いしました。

聴き取り当日のみなさん。懐かしい話題に会話が弾みます。

当時の宮前橋と天神橋周辺 それぞれの景色

 千曲川には、現在集落の北側にある宮前橋、南側にある天神橋の場所にそれぞれ吊り橋がかかっていました。
 現在の宮前橋の近くには、しらかば社会体育館があります。周辺には新しい道もできていますが、昔の景色は違っていたようです。橋も木造で、川の中央の中洲を中継地点として両岸を繋いでいました。

 「(宮前橋のところにあった吊り橋を)壊したのは、(八千穂)中学を作る時。」と正博さんが当時を振り返ります。昔は宮前橋の周辺はあしが広がる湿地だった、とも教えてくださいました。
 旧八千穂小中学校のあたりには、田んぼや鯉の養殖池があったといいます。天神町と対岸の宮前地区までは、今は住宅が立ち並んでいますが、当時は広い河原だったそうです。

 対して、天神橋の方はどんな様子だったのでしょうか。こちらは多くの人が行き交う場所だったようです。
 「だってここは、材木を運ぶトロッコ線路って言われてたじゃねえか。昔は佐久穂積(現八千穂)の駅は材木がたっぷりあっただ。」と洋一さん。

 洋一さんたちはトロッコ道(線路)について、少し上の世代の人からよく聞かされていたといいます。トロッコ道がなくなってからも八千穂高原方面から吊り橋を経由して駅には材木が運ばれました。
 「子どもの頃、材木を汽車に乗せる起重機(クレーン)があったのを覚えています。」と正任まさひでさんも懐かしみます。

 現在は、橋のあたりには天神森や大きな石碑が目立ちますが、この場所も昔は様子が違っていたそうです。

昔の天神橋周辺の様子。吊り橋だった様子が分かります。

 「写真の右側(渡った先)に、クラブや公民館って呼んでいた小さい会館があっただ。その下でどんどん焼きをやったり、牛の爪を切るところもあっただ。相撲とるところもあった。」

 「写真の中にでかいけやきの木があるでしょう。あの木の下んところに土俵があったの。今のように石碑がなくって、いきなり土手だった。」と正博さんも付け足します。

 昔は天神森のそばに公民館があり、道を挟んで反対側の欅の木のふもとには川の砂地がありました。そこには土俵もあり、子どもたちでよく遊んだそうです。しかし残念ながら、土俵は昭和40年の台風災害で流されてしまいました。

 さまざまな被害をもたらす千曲川ですが、普段は、子どもたちの遊び場でもありました。みなさんがよく遊んだのは、千曲川と大石川の合流するあたり。女の子は水浴び、男の子は魚とりして遊ぶのが楽しかったようです。
 

天神町を流れる二つの用水路

 千曲川で魚を獲った話題から洋一さんが、「そこに一間(1.82m)くらいの今は埋まってる細い水路があっただ。そこにはハヤ(ウグイ)がいっぱいいた。(ふやけて)手の指紋がなくなるっくれいやった(捕まえた)もんだ。」と笑います。

 魚は用水路の隅にいる習性があり、子どもでも簡単に捕まえることができました。家に持って帰ると、お母さんが煮つけにしたり囲炉裏で焼いたりして、晩御飯のおかずになったそうです。

 用水について、「家のそば(の用水路)で、お米研いだり、顔洗ったり。お風呂の(お湯を貯めるのに)14杯入れないといけなかったの。」と哲子さんも話します。哲子さんが使っていたのは、海瀬用水でした。海瀬村の田んぼに入れるための用水で、中央区に取水口があり、千曲川から水を引き入れています。水量も多く、黒澤酒造の前を通って海瀬へ流れています。

 対して、天神町の南側、旧樋口村の田んぼの用水は、樋口用水と呼ばれます。
 「東馬流の市野沢川ってところが元なんだけど、雨が降らない限りほとんど(水が)来ない。筆岩の川や小さな沢が合流してくるんだ。」と正博さん。今でも、天神町の集落の東側を樋口用水、西側を海瀬用水が流れているそうです。

現在の海瀬用水。当時は蛍も飛んでいたそうです。

東京電力の水力発電と簡易水道

 用水のお話から、飲み水についてのお話も伺いました。水力発電を進めていた東京電力と深く関わっているようです。
 「発電所ができてから、みんな井戸が枯れちゃったのよね。だから、飲み水があまりなかったの。」と哲子さん。東電が井戸を2つ掘ってくれた以外にも、『高岩樋口簡易水道』を村の人が協力して作りました。

 「(樋口踏切の手前の所で)ようちゃん(洋一さん)が掘ってたの今でも覚えてるよ。」と正博さんが話すと、洋一さんも「掘ったよ。ほっちょい、ほっちょいって。いいところと、悪いところがあって。悪いところなんて、えらい(大変)だ。」と答えます。

 地質によって掘りやすい所と掘りにくい所があり、冬は地面が凍っていて大変だったそうです。簡易水道で使っていた高岩のタンクは今では佐久水道に移管され活用されています。

 「東電の社宅が4棟あってね。今の町営(住宅)もそうだった。そして、発電所にはお風呂(銭湯)もあって、関係者は入れたんだよ。」という哲子さんの話に、正博さんも「町営住宅から、線路渡った空き地みたいのがあって玉突き場(ビリヤード場)があってね。」と付け足します。

 特に天神町から坂を登ってすぐの貯水池は、印象に残っているようです。「昔は貯水池も定期的に水をはらっていたよ。」と洋一さん。水を抜いて掃除をするタイミングで、魚を獲りにいったと懐かしみます。このように、集落の周辺には、東電関係の施設が沢山あったようです。

今でも続く3つの神様を巡るお祭り

 水に関わりの深い天神町の樋口地区では、毎年4月に3つの神様をお参りするお祭りがあります。それぞれどんな神様なのでしょうか。

 1つ目の「富士浅間さん」は、天神町と中央区の間のカーブになっている山の中に鎮座する、お産や子どもの成長を願う神様です。
 「(富士浅間さんまでは)かなり登っていかないといけない。小さな祠だから、道がないんだよ。」と哲子さん。富士浅間さん以外にも祠や石碑がいくつかあるそうです。

 2つ目は、千曲川河川の愛宕あたご公園近くに鎮座する「水神様」。田んぼの水や、千曲川の氾濫に苦労していた昔の人の願いがしのばれます。

 3つ目は、天神森の「天神さん」。一番大きく、今でも区の皆さんできれいに整備されています。

天神森には、今でも沢山の千羽鶴が飾られていました。

 お祭りではこの3つの神様のお参りを終えた後、近くの公民館で茶話会をするのだそうです。産神様が含まれているので、「女の人のお祭り」だとも話してくれました。今では子どもが少なくなってきていますが、この行事は旧樋口地区で続いています。

 水と共に苦労しながらも、強く柔らかな天神町の人々の暮らしが垣間見える聴き取りでした。天神町のみなさん、貴重なお話を聴かせていただきありがとうございました。

聴き手  川嶋 愛香
     山崎 藍子  
文章   川嶋 愛香
編集   櫻井 麻美
デザイン 西澤 ユキ

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