古谷の手作り立体地形図 古谷(集落の話の聴き手だより9月号)
今月は…古谷!
語り手 市川 健さん
市川 典子さん
小須田 はる枝さん
荻原 純子さん
由井 照子さん
・古谷渓谷の紅葉が自慢!
・十石峠は米が1日十石(25俵/1,500kg)運ばれたことが由来
・「乙女の滝」はかつて夫婦滝(めおとだき)と呼ばれていた
古谷の手作り立体地形図
古谷は、大日向の1番群馬に近い集落。古谷ダム、十石峠、鉱山、林業炭焼きと歴史ある地域です。
古谷の公民館の廊下には集落の様子を表した立体地形図が大きなガラスケースの中に置かれ、隣には、手書きの文字でこう書かれています。
“時代の変遷と共に産業構造も大きく変化し、大人と子どもの繋がりも希薄になってきた。昔から使われてきた地域の地名、地形、山河は、どの様な水流があるのか、地域住民の記憶が有る内に伝承し、知恵を生かし、若い世代に残していくことを目的に子ども、両親、祖父母の三世代が協力して地形図を作り始めた。”
今回は古谷のみなさんに、この立体地形図が生まれるまでの軌跡を教えていただきました。
集落をもっと身近に!立体地形図誕生までの道のり
話は30年前に遡ります。当時は集落に子どもが多く、PTA活動や若妻会の“こもれ陽”や老人会もあり、活発に活動していました。集落の外から来る人も多く、国道299号の待避所の広いスペースには外から来た釣人の置いていったお弁当やおにぎりの包装が常に捨てられていたそうです。そんな状況をどうにかするため、「花を植えたら、ごみを捨てる人がいなくなるのではないか。」と住民の発案で花壇を作ることに。この出来事が、さまざまな地域活動のきっかけとなりました。
お嫁に来られた小須田はる枝さん、由井照子さんはまだ土地や山の名前が分からず、なかなか地域の人の話題についていけないでいました。はる枝さんが、夫の代わりに出た道普請でその話になり「みんなが分かるように、地図を作ったらいいのではないか?」と声が上がりました。
高齢の方からこの土地ならではの話を聞く良い機会だということで、古谷生まれの荻原純子さん、市川典子さんも加わり地形図を作ることになりました。
早速、地形図制作の話合いが始まります。古谷は十石峠まで起伏に富み、奥まで続いているのが特徴の集落です。しかし、通常の山の地図は、慣れない人には分かりにくいもの。そこで市川健さんは、「立体の地形図にすることで、自分たちの住んでいる場所の久保(谷)や沢がより分かりやすいのではないか。」と思い付きました。立体のものであれば、小さな子どもにも伝わりやすいと多くの人が賛同し、立体地形図を作ることになりました。こうして、集落の三世代で協力しながらの制作が始まりました。
そこに暮らした人の気配を感じる 古谷の不思議な地名たち
実際に作りながら高齢の方から古谷の話を聞いていきました。その時に聞かなかったら、もう聞けない話ばかりだった、とみなさん口を揃えます。中でも地名に関してのエピソードは、とても興味深いものでした。立体地形図の中には、一見不思議な地名を見ることができますが、それらはそこで起こった出来事が由来になっているものだということが分かったのです。
例えば、“死人久保”。その谷(久保)で亡くなった人がいるから、付けられた名前です。“お倉久保”は、お倉さんがそこで迷ったから。“十衛門久保”、“文助久保”、“六兵久保”も、それぞれそこで十衛門さん、文助さん、六兵さんがそこで薪を切ったり炭を焼いたりしていたことが由来になっているそうです。
立体地形図の中には、そのような昔から受け継がれている地名を見ることができます。
また、この辺りは鉱物などの採掘が盛んに行われた場所でもありました。土壌づくりに欠かせない大規模な石灰石採石山があったり、クローム鉱山には岩の穴を開けるために専門の鉱山師がわざわざ岐阜からやって来るほどでした。 第二次世界大戦中には、政府が飛行機のプロペラ等に使う重要な鉱物の採掘のため多額の支援をしていました。立体地形図制作メンバーだった由井秋良さんも、石堂クローム鉱山に勤めていたそうです。 秋良さんだけでなく、同じくメンバーだった由井良一さんと由井定人さんをはじめ、集落の殆どの男性は鉱山の採石や、炭焼き、山仕事を生業としていました。みなさん地元を愛し、山に詳しい方たちです。このように、古谷では昔から今に至るまで、人々と山の関係はとても深いものだったのです。
試行錯誤の手作り立体地形図 完成まではなんと1年3か月!
立体地形図は、コンパネのサイズに合わせて6700分の1で作ることにしました。悩みは、粘土の材料を何にしたらよいかということでした。市販の紙粘土では費用がかかりすぎるため、考えた末に古新聞で作ることにしました。全員で古新聞を裂いて、煮て、ミキサーにかけ、糊を混ぜるというやり方で進めていましたが、カビが生えたり、うまく形にならなかったりと失敗の繰り返しだったそうです。しかし、内装業をしている平岡博幸さんが質の良い糊を手配してくれ、そこからはうまく作業が進むようになりました。
縮小版の地図をコンパネに貼り、等高線を見ながら子どもたちが高さを調節し、粘土を少しずつのせます。乾いたら、水彩えのぐで色付け。針金の鉄塔は、実際に鉄塔の付近で山仕事をしていた大林義明さんが作りました。
「とうちゃんは(立体地形図作りが楽しみで)頭とかして、鏡見て(身だしなみを整えて)出てったって、おばちゃんから聞いたよ。私たちもみんな、やっている期間はすごく真剣だったよね。」と照子さん。仕事帰りの夜や、土曜日に公民館に集まり、大人も子どもも協力しながら少しずつ制作を進めました。
立体地形図を作り始めたのは、平成5年の1月。地道な作業を繰り返しながら、平成6年3月30日ごろにようやく完成しました。およそ1年3か月の大作ができたのは、今から遡ること30年も前のことです。地形図の脇には、地元の山にある樹木の標本が同じ太さに切り揃えられて1つ1つパソコンで名前を作って貼り、置かれています。どちらも合わせて、集落の歴史を語り継ぐものとして同じケースの中に大切に保管されています。
この活動をきっかけに、地区のどんど焼きが復活したり、みんなで海水浴、野球観戦にも行ったそう。それが現在まで続く古谷の活発な地域の活動に結びついています。三世代をつなぐ立体地形図。今なお特別な思い入れがある作品です。
立体地形図制作を収めた秘蔵映像が30年の時を超えて蘇る!
今回、市川典子さんから30年前の立体地形図制作の様子を収めたビデオをお借りすることができました。この映像の制作者は、NHK長野放送局長賞を5回受賞された市川長太郎さんです(川久保在住)。
ビデオテープは30年前のものとは思えないほど状態がよく、大切に保存されていました。映像を見てみると30年前にタイムスリップしたような興奮に包まれました。
今回、みなさんの許可を得てビデオ映像をYouTubeにも公開することになりました。こちらから見ることができますので、ぜひ多くの人にご覧いただければ幸いです。
https://www.youtube.com/watch?v=G7BN-2u-kTs
古谷のみなさま、ご協力ありがとうございました。
聴き手 大波多 志保
川嶋 愛香
文 大波多 志保
編集 櫻井 麻美
デザイン 西澤 ユキ
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