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沢山あった子どもの“仕事”と遊び  大門(集落の話の聴き手だより10月号)


今月は…大門!


語り手 小宮山 憙一さん
小宮山 勝輔さん
井出 正さん  
畑 さなえさん 

・甲州街道が集落の中心の道路、旅人のために3つの宿がありました
・今も昔も、大門といえば権現山!住人と深い関わりのある山です


 佐久穂町役場から国道141号を小海方面へ向かい、中畑の信号を過ぎてすぐの交差点を斜め右へ。その先にある八千穂保育園や社協こまどり支所のほど近くに位置するのが、大門です。畑八村時代には役場もあり、村の中心でもありました。
 集落の裏手には、権現山がそびえています。自然豊かな山は、集落の生活に密接に関わっていたようです。

子どもの頃のお話をされるみなさん

沢山あった子どもの“仕事”と遊び

 「昔の子どもはなんしろ、うちを助けるっていうのが当たり前で。」
 子どもだった頃は、学校から帰ってくれば夜まで家の仕事をするのが当然だったと、最年長の憙一よしかずさんが話し始めます。他のみなさんも、そうだったね、と賛同しながら、子ども時代にした様々な仕事について教えてくださいました。

 例えば、焚きつけのための松葉集めや“ぼや(薪)”取り。権現山まで松葉とぼやを取りに行ったそうです。家で飼っていたウサギやヤギのエサにするために、草刈りもしました。しかし、集落のほとんどの家で家畜を飼っていたので、近くの草は既に取りつくされていることもしばしば。遠くまで行くことも珍しくなかったようです。

 様々な子どもの仕事の中で、特に印象に残っているのは、“おこあげ(蚕が繭を作るための部屋に移動させること)”だという声も上がりました。年に4回ほど出荷していた繭は、農家の大切な収入源でした。それぞれの家で飼っていた蚕が、繭を作り出す時期になると一斉に透明になってきます。すると近所の子どもたちにも、貴重な労働力として声がかかります。

 「しきて(透明になって)くると、みんなで蚕を拾ってまぶし(繭を作る部屋)へ入れていくの。その時期になると、もう桑を食べなくなり、頭を持ち上げて振ってくるの。」と、さなえさん。

 「夏休み、おこあげの手伝いに行くとおむすびが出るで、子どもはそれを食べて。『おい、あそこのうちがあがる(おこあげをする)らしいや。』って(みんなで向かった)。その家のもんも(来るのが)分かっていて、もうおむすびができていて。食べ行ったよ、何回も。」と、正さんも笑います。お手伝いの報酬でもらえるおむすびが、子どもたちの楽しみだったようですね。

 そんな仕事の合間に、楽しい時間もありました。千曲川にも近い大門では、夏休みになると魚を捕まえに行きます。捕まえたカジカやハヤ(ウグイ)は、唐揚げや囲炉裏で焼いて食べたそうです。台風などで雨が沢山降った後には、田んぼからフナが逃げるので、それをすくうこともありました。U字溝になった今では、見られない景色です。

 冬になると、山から取った桜の木でソリを作り、権現山から集落へ続く坂道を滑りました。色々な樹種の中でも、桜の木がよく滑ると先輩から教えてもらったそうです。子ども同士で教え合って遊んでいたんですね。

 もう一つ、“せっつ(ホオジロ)罠”という面白い遊びも教えてもらいました。当時は、木材を馬で運ぶ仕事をしていた家が大門にも何軒かあり、馬が身近な存在でした。その馬の尻尾の毛を使って作る、小さな鳥を捕まえる罠なのだそう。藁をおいて鳥をおびき寄せては捕まえます。スズメは焼いて食べたら美味しいのだとも、教えてくださいました。

子どもの頃、ソリすべりをした坂道。当時は、一度雪が降るとなかなか溶けずに残っていました。

権現山にある3つの神社と賑やかだったお祭り

 今も八千穂保育園の定番お散歩コースの権現山は、大門と隣の佐口の集落にまたがっています。そんな権現山には、ふもと、中腹、尾根に神社が3社あります。
 まず、集落の中の大きな鳥居をすぎて、山のふもとにあるのが護国神社です。戦争で亡くなった方を祀っていて、今でも遺族会が4月29日に供養をされています。

 2つ目は、山の中腹にある諏訪神社。樹齢1000年以上といわれる神代杉がそびえ立っています。「上畑区の常会から2人ずつ出て(氏子を)やったの。上畑は、7つ常会があるんだよ。高根、大門、上畑第一、上畑中央と、清水町が1から3まで。」計14名の氏子が中心となり秋と春にお祭りを行うのだと、氏子の経験のある正さんが詳しく話してくださいました。
 鳥居から諏訪神社まで、集落の各家に1つずつと神社の参道にも提灯を飾っていた時期もありました。「夜になれば、その明かりがとてもきれいに集落を照らしていた。」と正さん。青年団が運営に関わっていたそうです。

 そして3つ目は、尾根にある稲荷神社です。臼田の稲荷山から分神された蚕(商売)の神様です。今でも、八千穂保育園の子どもたちは稲荷神社まで登ってきて、お社や東屋の周りで遊んでいます。

 後日、それぞれの神社を参拝してきました。修繕されていたり、注連縄があったり、地域のみなさんが大切にしていることが伝わってきました。尾根の稲荷神社からは、千曲川から東側の集落を見渡すことができます。保育園から子どもたちのにぎやかな声も聞こえ、まるでここにいる神様がこの地域を見守っているように感じました。

神々しさを感じる諏訪神社。数年前、寄付により修繕が行われました。

スポーツを通じて強くなる絆

憙一さんが参加された村内一周駅伝の様子。大門は上畑チームとして参加しました。 

 神社の秋祭りの頃には村内一周駅伝も開催され、とても盛り上がっていたというお話しも聞くことができました。福祉センターをスタートに、上畑、下畑、大久保、佐口、うそのくち、松井、八郡、大石、天神町と走る駅伝です。選手の経験がある憙一さんは、「俺はうそのくちから八郡まで走った。3、4キロあると思うだよ。」と、話してくださいました。駅伝のコースは、坂道ばかり。そんな厳しい道を走っていたなんて、驚きです。

 スポーツが盛んだった大門。村民運動会ではお隣の高根と合同で大高分館として参加し、優勝回数は最多で、連覇したこともあるのが自慢です。「村民運動会は、年齢や性別に関わらずみんなが参加できて楽しめたのよ。」と話すのは、さなえさん。

畑八村での村民運動会での仮装の様子。八千穂北小中学校のグランドで行われていました。

 正さんも、「我々が若い時はスポーツ(早起き野球やソフトボール)に慣れ親しんだけど。家族やみんながまとまって参加できて、(集落が)盛り上がったんだよ。」と、当時を懐かしみます。
 正さんや勝輔さんは、最近まで毎年同級生で集まっていたといいます。一緒に旅行に行ったり、ご飯を食べたり、楽しそうな写真も見せてくださいました。

 「地域の輪だ。(運動会などスポーツを通じて共に活動をしていたので)そういうことでまとまりがよかった。」と勝輔さん。若い頃から地域に積極的に携わっていたみなさんは、今でも地域のサロンや活動へ多く参加されるそうです。

 この集落で育ち、絆を強めていったみなさんの空気感は、終始和やかなものでした。これからもこのつながりが、下の世代へとつながっていくことを願っているんだ、と最後に話してくださいました。

聴き手  川嶋 愛香
     櫻井 麻美
     山崎 藍子  
文章   川嶋 愛香
編集   櫻井 麻美
デザイン 西澤 ユキ


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