オランダでものを作る心地よさ(日記)
Sakuです!日記です。
オランダの街を歩いていて、ここはアートとデザインがとても身近にあると感じる。アンティーク屋、古着屋、照明屋、インテリア・雑貨屋といった店が、それぞれに個性をはなちながら調和している様子が、街歩きの醍醐味です。
私は、今度デッサンのモデルをすることになった。アートスクールやワークショップが盛んにあるので、そこに飛び込んで楽しみたくてわくわくしてる。沖縄で一度だけやったことがあり、疲れるけど楽しかった。木炭の匂い、絵の具の匂いがたまらんです。大学のときの演劇みたいに、表現するのは楽しい。
オランダに限らず、ヨーロッパの街並みがなぜこんなに心地よいのか?
景観というものを本当に大事にしているからかなと思う。
カフェなどはもちろん、図書館や市役所、病院の待合室など何気なく居る場所が、非常にきれいにデザインされていて感動する。壁の色や窓の形、イスや机が、心地よいものが多い。
この間、知り合いの働くオフィスをたずねたところ、広いスペースをパーテーションで区切って、人が働きやすく座りやすいような流れを考えた設計になっていた。すぐに外の空気を吸えるバルコニーがあったり、自転車のペダルつきの机があったり。
そして、照明は、私が日本でとても苦手だった、真っ白の蛍光灯がほとんどない。これが本当に本当に嬉しい。柔らかいオレンジっぽい光や、間接照明で目も神経も疲れない。ドラッグストアもスーパーもチカチカしていないことで、生きるのが本当に楽になった。
秋になっていく時間がいとおしい。
私がオランダに来たのは、結婚したからが一番の理由だけど、
夫に会う前からヨーロッパに強い憧れがあり、夢があった。それでパリやロンドンを旅行し、ヨーロッパにいつかは住みたいと思っていた。現実にはパリもロンドンも、日本人がひとりで住んでいくには高いハードル(経済的に)が当然あって、それでも「好きだな」と思っていたら、縁あって夫に出会えた。
最近はソーシャルワーカーさんがたずねてくれて、この国で暮らすこと、馴染むこと、そのために何をどうしたらいいかを話し合っている。2か月ほど前まではいろいろなことが、自分ひとりでは対処できなくなっていた。とてもフランクな人たちに支えられ、やりたいことが見えてきている。
最近は、自分でものを作ることが面白くなってきて、そういえば小さいときから絵も工作も好きだったなと思い出す。文章を読むこと、書くことも。でも沖縄に帰ってからのここ3年くらいは、それができなくなっていた。自分をコントロールしたり、心を守ること、それから現実的なことでいっぱいいっぱいだった。
和紙でランプシェードを作ったり、メッセージカードを作ったり。
庭いじりをして、無心に雑草を抜いたり。
2週間ほど前からは小説を書き始めている。これがどんなんになっていくのか分からないけれど、今まで長めの小説は書き終えたことがないので、完結させるのが目標。
自分のことをうちに溜めてしまうと、八方ふさがりになる。日本語の話し相手、境遇を打ち明けられる人がいないので、よどんでいく。たくさんの気持ちと考えが自分のことを離れていかず、苦しくなる。
文章にしてとにかく外に出せば、よどみが少しずつなくなっていく。
日本語の本をさっと買いに行けない、ということでドイツ在住の方から本をゆずってもらった。それも読んだので、家族に頼んで日本から送ってもらう。
父のこと母のこと、あんなに憎かったのはなぜだか分からない。そのときにはその感情は正しいというか、仕方ないものだったと思う。けれど今はこれだけ離れて、憎しみはない。
この間、夫と、「出会わなかったことを思うとどう感じる?」と話した。
私は、それはそれで、何か私のべつの幸せを見つけていた気はする。「スライディング・ドア」みたいに、こっちじゃない世界でどんなふうになっていたのか?
心がとてもつらくなっても、そのたびに回復していければ良い。つらさの渦中にあってもたくさんの人に助けられたことを今は思い出す。しんどいから、「ひとり」だと感じても、実際にはそうではなかった。
オランダにずっといれるものかどうかも分からないし(ビザが降りない可能性ももちろんある)、この生活がどうなるかほんとのところは不安定だ。
自分の人生の「大変な段階」は超え、また次の「大変な段階」に備えて、心をやわらかくして、強さと賢さを蓄える時なんだと思っている。