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野生の風 より

驚いたことに、枝を煮出したたっぷりの液にひたすと、糸は茶でも緑でもなしに、ほんのりと匂い立つせつないばかりの桜色に染まった。
そのとき、飛鳥は知ったのだった。咲ききった八重桜の花の中に、すでに夏へと向かう緑のほとばしりがひそんでいたと同じように、冬の枝の中には、春にひらくはずの花のいのちが宿されていたのだ。
自然の密かな約束ごとを無理強いして覗き見てしまった後ろめたさがあった。咲けぬまま切りとられた桜の枝から、花の精の無念がにじみ出て、糸を紅く染めたのだと思った。

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私が、色を"色”として初めて認識したときの感覚は今でもはっきりと覚えている。 いくつくらいの歳だったかはわからないけれど、幼稚園か、小学生くらいだったと記憶している。
1回目は、空の色彩だった。何故かわからないけれど、その瞬間まで空を見たことがなかった。正確に言うと、空は見ていたけれど、見ようとして見たことがなかった。だから、そう言う意味での、初めて空を認識した瞬間になる。
一体全体、あの色はなんなんだ。絵の具の色ともとれないあの色。一体どういう仕組みでこんなことが起こっているのだ!どうして夕方になると山の近くはオレンジ色になるのか。不思議すぎて気が狂いそうだった。
そして、物心ついたいつかの夏休みの自由研究に「空は何故青いのか」を研究課題とした。その理由は以外にも簡単に本で見つかり、その理由を知ったときはとても感動したことを今でもよく思い出す。
ー光は波長でできており、青色はその波が短く、赤色は波が長い。波長が短いと、空気中の酸素やチリなどの小さな物質にぶつかり反射し青として映る。赤い波長は、波が緩やかなので小さな物質にぶつかりにくい。だから青い波長だけが、先に光の波長の中から消えて行くので結果的に赤い波長だけが届く。だから、夕焼けもできる。それが一日の太陽角度と地球の自転によって変化して行く。
まさに、私にとっては大発見で、"色”とは波長なのだということだった。

日々の生活の中では、実に多くの色に出逢う。そのなかで、私は今 "赤” を見たな、とか "黒” を見たなとか、 "白” を見たなとか、そういう息が詰まる瞬間を死ぬまでに出来るだけたくさんたくさんしたいものだなと思う。

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