差し出がましい依頼をきっかけに人に甘えるという体験をした
今日は、ちょっと無理、と思ったことがありました
「無理と伝える」という対応は私が今まであまりとってこない行動だったなと思い、ちょっと振り返ってみようかと思います
学会での発表
今月末に学会発表に参加します
半分ボランティアで参加している事業で私以外はいわゆる研究職の方々
私は主に実践担当として関わっています
研究職の方にとって、おそらく学会で発表するということは業務の延長なのだと思います
むしろ、発表という実績は必要不可欠だったりします
一方で私は普段別の業務をしています
その中で発表の準備をするのは、なかなかに大変で
発表自体久しぶりなこともありますが、「作成」という身体的な負荷はもちろん、「慣れないことをする」という精神的な負担もかかっています
(とはいえ、臨床をやりながら発表する人たちはいっぱいいるのですが)
プロに指導してもらうアマ
そんな中、なんとかギリギリのスケジュールで完成した内容をチーム内で共有しました
私もそれで一発OK!とは思ってません
案の定、必要事項が抜けていたり、フォーマットの修正など、みなさん丁寧に指摘してくれました
ここまでは想定内
そんな中でお一人から言われた言葉
「差し出がましいようですが、内容の形式を変更した方がいいと思います」
とのお言葉
仕事中にそのメールを見て
「いや、本当差し出がましいよ!!!」
と思わず心の叫びが聞こえました笑
よくよく考えてみたら、私以外、発表に慣れている方々ばかりで、いわゆる発表のプロなんです
一方、私は5年以上まえに1回発表したきりというアマ中のアマです
そんな自分がプロの方々に直接指導してもらえるなんて、なんていう贅沢な状態なんでしょう
無理なもんは無理
一旦はそう思って、できないかもしれないけどチャレンジしてみるべきか・・・
考えました
そして出した答えは
「たぶん無理だと思います」
ということ(もっとビジネス的に返していますが)
実は「差し出がましいですが・・・」の連絡くれた方は、「代わりに作成しましょうか」とまで言ってくれている
でも、私の発表なのにそれでいいんか??という気持ちもある
そこは明日、直接相談させてもらうことにしました
人に甘える
この「甘える」という動作が本当に苦手で
がんばれば何とか自分でできる、と思う内は「お願いします」と言えない
でも、今回は無理だと思った、そして「無理です」と伝えてみた
なんで、今回は無理と言えたのだろうか
それは、
がんばって自分一人で行うことがチームにとってのベストではないかもしれないと思ったから
今までは、もしかしたら
一人でやりきることが美学という概念があったのかもしれない
でも、想像以上にハードルの高い注文を受けたことで
そもそもの目的(今回で言えば、発表を通じてチームでの取り組みを他の人に伝えたいということ)を思い出すことができた
そこで、一人でやりきること<人に甘えてもいいから、チームでの目的を達成できる方を選択するということに気づけた
今までは、ここが欠けていたのかもしれない
なんだか、結構大事なことに気づかせてもらったかもしれない
そんな1日でした
note書いてる時間はあるんかい、という突っ込みはそっと置いておいてください笑
これは自分にとって、癒しの時間でもあるので、別腹です