見出し画像

飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか。

「悪文の構造」という本の解説の記事。

『名文を簡単に書く技術』と『悪文を丁寧に直す技術』、どちらの本を書店で手に取るだろうか。まず手が伸びるのは『名文を簡単に書く技術』ではないだろうか。この本があれば、名文が書けそうな気がするからである。
 しかし、『名文を簡単に書く技術』を手に、レジに並ぶまえに考えたい。読者をうならせる名文なんてそんなに簡単に書けるものだろうか。自分の実力を省みたとき、基礎が満足にできていない自分に、すぐに名文など書けないことは、冷静な頭で考えればすぐにわかるはずである。きちんとした文章の書き方を身につけたいなら、急がば回れで、『悪文を丁寧に直す技術』を手元におき、地道な方法をじっくり学ぶべきなのではないだろうか。

ちくまWeb「悪文」に名著が多い理由 『悪文の構造』解説 石黒圭

今更ながら、文章をちゃんと書く勉強してこなかったなと思い「書く」ということに関する本を探している。この解説に書いているとおり、「名文を簡単に書く技術」のほうをまず手に取るだろうな。

でも、「名文の書く技術」これは「魚を与える」考え方。確かに手っ取り早くマネれば、それなりの文章になりそうだ。
では、「釣り方を教える」は?というと「悪文を直す技術」を身に着けること。ものづくりでもなんでも、成功例から学びを得るより、失敗からのほうが学びを得やすい、見つけやすい。

手元に置いて、学ぶ。なるほど。確かに。良さそうだ。これは、補助金の事業計画を自分で書こうとする人、補助金の事業計画の書き方にいかせるのでは。

ネットでも、本でも「補助金事業計画書の書き方」はいっぱいある。これをマネれば大丈夫というひな型もある。基本「採択された事業計画」を売りにしている。解説に鑑みるとこれは「魚を与える」方法。

マネるだけといわれれば、チャレンジしようとしている事業者さんはとっつきやすいだろうな。でも、表面だけとりつくろった、それなりの採択が目的の事業計画になりやすいかも。勝手な感想です。

逆に「採択されない事業計画を直す方法」は、「釣り方を教える」方法になるのか・・・。自分なりに考えた事業計画を、「採択されない事業計画を直す方法」を手元に置いて、照らし合わせて、直していく。こう考えると、自分で考えた事業計画書なので、実際に動き出したときに進捗具合の確認などちゃんと見返すことのできる、生きた事業計画書になりそう。こっちのほうが好みだな。

マネるは、悪いことではない。なにごとも、マネることは上達の第一歩。でも身につけるなら、マネるだけでは、経験を積んでも、自分に自信が持てない。自分なりに考え、その考えがあっているか根拠が欲しいなら、教えを乞うか先人の知恵を借りるかなどし、繰り返すことで、技術を習得。長いなー、でも一生モノ。まあ、技術を身につけたからと言って、魚が釣れるかというと・・・。でも、自分で獲れるようになった方がいいには違いない。

実は「悪文の構造」を読んでいない・・・。解説だけ見ただけ。さあ、買ってみるか。釣り方を覚えるぞ。

いいなと思ったら応援しよう!