スポットライトを当ててくれ!
2023年9月。
映画「君の忘れ方」の、たしか撮影後半戦に突入した頃。その日は午前中が撮休で、午後に結婚式のシーン撮影のみを、予定する日だった。
朝9時、僕の泊まる宿の前に車が着いた。ロケ車ではない。本当に来ると思ってなかったから、僕は苦笑した。差し入れ用の大量のハイボールを車から下ろしながら、その先輩二人は立っていた。
東京を、まだ明け方暗いうちに出たという。二人とも、さすがに少し眠そうに見えた。
映画監督の高明氏と、俳優の森本のぶ氏だ。
僕たちは近くの喫茶店でモーニングを取り、撮影の進捗やら色々話をして、一度別れた。
そしてなんとその後、お二人は撮影現場にエキストラとして来てくれたのだ。スーツもバッチリ持ってきてくれていた。
素晴らしい表情を作り、芝居してくださった。
現場でたちまち元気が出たのを覚えている。
お二人との出会いは、2015年の夏だった。
はじめて僕が長編の脚本を書いた映画「マザーレイク」の、高明氏は助監督、森本のぶ氏は俳優として関わってらっしゃった。
とにかく印象は、二人ともフットワークが軽いこと。そして熱いこと。そして見た目が怖いこと。
高明氏は今少し痩せたのだけど、最初に会った時は間違いなく力士だと思った。
僕が脚本を書いた映画では、「マザーレイク」「いのちスケッチ」「光を追いかけて」「アライブフーン」と、実に四作品の映画のチーフ助監督を、高明氏は担当された。
シビアな場面がいっぱいあった。心折れる瞬間も多々あったのだけど、高明氏が助けてくれた。
そんな高明氏が、森本のぶ氏主演で映画を撮られた。実に2年半前の夏。
弊社の長尾がメイキングで参加したこともあり、僕も半日、現場へ陣中見舞いに行った。懐かしい。
そして先週より、渋谷のユーロスペースで公開が始まった。昨日、僕も見に行った。
実を言うと脚本は、改稿途中のものを二回ほど読ませていただき、意見をまとめて打ち返したりさせていただいていた。
だからお話は全部知っていたのだけど、映画はあまりに純粋で、不器用で、熱いものになっていた。高明さんのお人柄そのもの、と言ってもいいと思う。
色々なことを思い出した。
僕はそんな怖い見た目の高明氏に、納得がいかないことでムキになり、電話で言い返したことがある。高明氏は一歩も引かなかった。一時間、電話で喧嘩した。
僕が完全にスタッフワークとして悪いことをしてしまい、ブチギレられたこともあった。怖かった。
あまりに不甲斐ない打ち合わせのあと、カラオケに連れられて、ハンバートハンバートの「虎」を熱唱する高明氏の隣で、ちょっと泣いたこともあった。
すべて、過去のことだ。
しかし、いまに繋がっている。
脚本を担当した「光を追いかけて」は、僕も現場にベタで付いたので、相当な思い出になっている。主演の中川翼と出会えたことも、大きな事だった。
「光を追いかけて」を監督したのは、成田洋一さん(脚本は僕と共同脚本)。お年は64歳。
実はこの映画が成田さん、初長編映画監督だった。
しかし、TVCMでは歴戦の監督である。CM業界で知らない人がいないくらいだそうだ。
成田監督は無事この映画を公開まで辿り着かせ、そして昨年、新しい映画を撮られた。
「あの花が咲く丘で、君とまた会えたら」
なんと現在、興行収入42億円を突破、大ヒットしている。
成田監督は、日本アカデミー賞の優秀監督賞を受賞された。
そしてこの映画の助監督(監督補)が、高明氏なのだ。森本のぶ氏も少し出演されている。
こちらの映画も、見に行った。
福山雅治さんを聴きながら、誇らしい気持ちで僕はエンドロールを見た。
※ ※ ※
スポットライトが当たる人も、当たらない人もいる。不公平だったり、理不尽な世の中だと思う。
しかし、人にスポットライトを当てることで、スポットライトが当たる職業がある。
映画のスタッフである。
たとえば映画の脚本を仕事にするのは、本当に難しい。職業にすること自体も難しいし、出来たとしても理不尽な思いを山ほど抱える。
思うところがあり、環境を変えたりした。
それでもこうして振り返ると、「アライブフーン」までの頃の僕も、薄っすらとした光を浴びていたような気がする。
高明氏はもしかしたら、スポットライトなんて自分には当たらないと卑下されるかもしれない。
でも、高明氏の舞台挨拶を客席で見ていた僕は、こう思った。
間違いない。
スポットライトはいま、先輩に当たっています。
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