僕にとっての青春
YUKIばっかり聴いてた頃があったのに、いまはあまり聴かない。でも、メロディを頭に流してみただけで、胸はときめく。
先週末、一泊二日で一人、京都に出かけた。
京都市の北にある街で開かれる映画祭に参加するためという大義名分もあったけど、可能な限り気ままな一人旅の気分を味わおうと、準備もそこそこ、旅のプランを考えるよりも先に新幹線に乗った。
映画祭に参加した以外は、極力自由に時間を過ごすことができた。よく通ったイタリアンバルや、大学にも行った。むかしのことを沢山思い出した。
鴨川にも座った。
脚本家仲間の伊吹一氏が京都旅行中だというので連絡したら「どうもどうも」と来てくれた。彼は丸善京都本店で買いたての哲学書を嬉しそうに袋から出し、ぱらぱらとページを捲り、ふくふくと笑った。僕はその隣で、むかしのことを思い出していた。
付き合っていた子と鴨川に座り、茫漠とした時間を過ごしたことが、だいぶ前にある。
僕らの間には、ロマンチックなものはほとんど流れなかった。
かなしいくらいにあの僕は、自分のことで頭が一杯だった。
何かを話そうと思っても、どうにもうまく話せなかった。
この先きっとうまくいくようにするから、今は何も語れるものなんかないけれど、なんとか頑張ろうと思う、みたいなことをグルグル考えては、それは言えず、つまらない話をつまらないと思いながらとにかく、一生懸命に笑いながらした。
自分勝手なやつだ。自分のことばかり。
今はもはや、先のことはあまり考えたくない。
こんな気持ちになるなんて。
けっして、なりたかった自分に合流できたわけではない。
あの頃の僕にとってのなりたさとは、例えば貯金を1000万円貯めますとか、具体的なものではなくて抽象的なものばかりだったから、無事になれたかどうかの判断は、どうしたってつかない。
だから、考えることに意味がない。
意味がないことに気がついてしまった。
そもそも、考えたってどうしようもないし、目の前のことを考えたほうが面白い人生は過ごせるし、面白い創作も出来る気がする。
実際、時は確かに流れて、あの子は今はどこかへ行き、僕の隣には哲学書を手に持つ伊吹一氏がいる。そんなこと、予想なんかしてなかった。
先日、初号試写を終えたばかりの自作の話を少しすると、伊吹氏は、「あんたの作品は変わってるよ」と、ニカァッと笑いながら言い、僕は「あんたこそ、ヘンテコな人と出会うが謳い文句の映画が公開中のくせに」と、返す。
帰りの新幹線で、久しぶりにYUKIを聴いた。
「ミス・イエスタデイ」が僕たちは好きだった。
【ミス・イエスタデイ 無くした昨日を ゴミ箱の中から探すよ】
新幹線の車窓、流れる景色に身を委ねながら眠った。
東京の一人の部屋に帰ると、自分がいったい誰なのか、全くわからなくなって、模様替えしたくなったけど面倒だったのでやめて、お酒を飲んで本を読んで寝た。
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