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entanglement 彼岸花

車は街灯も届かない草の生い茂る暗い路肩に止まった。

「ここだよ。降りて」
『俺』はそう言って後部座席からカメラを取り出した。

今日は写真家である『俺』の写真集撮影の手伝いだ。
手伝いと言っても特に何かをする訳ではない。
撮影期間中は一人で撮影に没頭したい『俺』は、私の会いたいという誘いのしつこさに根負けして、たまに同伴しても差し支えない撮影に手伝い名目で連れて行くのだ。

夜の風景ばかりを撮る『俺』の写真の世界が大好きな私にとって、撮影に同行できるのは何より嬉しい。
こちらの世界と、もう1つの世界とを繋ぐ秘密の扉を見せて貰えた気になるからだ。

三脚を付けたカメラを持って『俺』はどんどん進む。
秋の夜は風が冷たい。
私はコートのジッパーをしっかり上げて遅れないようについて行く。
機材運びも写真家任せなんて、私は手伝い失格だ。
                     

写真家が立ち止まった場所は、面白くも何ともない場所だった。

え?ここ??

そこは写真集の中に広がるドラマチックな世界を微塵も感じさせない雑草が生えているただの草むらだ。

「ずっと待ってたんだけど、やっと彼岸花がいい感じで咲いてきたからね」

よく目を凝らすと確かに彼岸花が所々に咲いている。
でも、この風景のどこがどういいのか私にはさっぱり分からなかった。

『俺』は彼岸花のすぐ前に三脚を構えた。
手を伸ばせば触れられそうな距離だ。

えっ、こんなに近くで撮るんだ

今まで広い場所を引きで撮るところしか見た事がなかった私は驚いた。


『俺』は大きな懐中電灯を点灯し、光が彼岸花全体を柔らかく撫でるように動かした。

「はい、じゃあこれやって」
『俺』は私に懐中電灯を手渡した。

夜は光量が少ないので長時間露光の撮影になる。
『俺』がシャッターを開けている数分間、私は指示通りに彼岸花の上に光を滑らせ続ける。

この時間が写真に閉じ込められるのだと思うと何とも言えない嬉しさが湧き上がった。

私の姿は写らなくても彼岸花を通して私の痕跡が『俺』の生み出す世界に残されるのだ。

私は『俺』の世界の中に住むことを許されたような気がした。
それはたまらなくゾクゾクする喜びだった。
                         

『俺』はいつも私に冷たい。
辛くてもう諦めようと何度も思うのだけど、それを見透かされた様に時々餌を与えられ、また私は『俺』の気まぐれを期待して連絡してしまう。

いつまで経っても身体がどれだけ近づいても『俺』との心の距離は遠いままだった。

「俺は君のために将来へ影響を与えないような関わりがしたいんだ」
そう言う『俺』に対して身動きが取れない苦しさが日々少しずつ憎しみへと変化していくのを私は感じていた。

                        
                         
     
仕上がった写真を見た時、私はそれが同行した場所だと言われるまで気づかなかった。

あの時目にした面白みの無い現実とは全く別の、まるで物語の中に迷い込んでしまったような世界が広がっていたからだ。

この人はどうしてこんな魔法が使えるのだろう。
きっと『俺』にはもう1つの世界が見えているのだ。

深い藍色の世界の中に妖艶な朱色に輝く彼岸花が浮かび上がっていた。
広角レンズで撮られた彼岸花は実際の距離よりも随分遠くにあるように見えた。

私は急に涙が出そうになった。
彼岸花の気持ちを感じたのだ。

手を伸ばせば触れられる距離で光を纏わせ長時間じっと見つめ合ったのに、摘み取りも触れもせず『俺』は立ち去っていく。
そして『俺』の世界では、その距離は決して近くは無いのだ。

枯れてもいいから摘み取ってほしい。
立ち去るのならそんなに近くで見つめないでほしい。
要らないのなら撫でるように光なんて当てないでほしい。
憎いならむしり取って踏み潰してくれればいい。

残酷だ。
私は思った。

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