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テイクとメイク

写真を学んでいた頃、写真にはtakeとmakeがあると教えてもらった。
外に出て自然や街のありさまや人々のスナップ(当時は今ほど厳しくなかった)を撮るのがtake、スタジオでイメージを作り上げていくような撮影がmakeの写真だ。

私は撮るのも見るのも断然takeの写真が好きだ。
その時そこにしか表れないものを探して歩き回るのは楽しかったし、そんな瞬間に立ち会えた時は感動する。
なにより、原因と結果の逆転がダイナミックに起きるのがたまらなく好きなのだ。


『何を探しているのか自分でも分からないのだれど、出会えた時にこれを探していたのだとハッキリと分かる』

その瞬間にやってくる身震いするような恍惚感。

偶然の海の中に落とされたほんの一滴の必然。それを見つけて、そこに込められた意味を解明し、感じ取る快感。
何度味わっても飽きずにまた求めてしまう。

たぶんこの感覚は、makeの写真では逆のパターンとして現れるのだと思う。
頭の中のイメージを現実世界に忠実に移行ささようと必然を作りこんでいく過程で、ふいに訪れる思わぬ偶然。
その偶然を取り込めた時には、やっぱり身震いするような感覚になるのだと思う。

いや、もっと言えば、これは写真の話だけではなく、あらゆる分野で同じことが起きているのだと思う。
偶然のなかに仕組まれた必然の欠片、必然のなかに巻き起こされた一瞬の偶然、それを見つけ、捕え、感じる時、この世界をはるかに超えた何かを全身で感じるのだ。


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