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entanglement レトルトカレー

ついにやってしまった。
キツイ言葉を投げつけるだけでは収まらず、とうとう私は母に手を上げてしまった。
うずくまる母から目をそらし、私は逃げるように自室に入ってドアを乱暴に閉めた。




絶縁していた両親とは、思いもよらぬ形で再会した。
父方の祖母の葬式後、父が脳出血で倒れたのだ。
親戚からの呼び出しの電話に、父なんか勝手に死ねばいいと私が突っぱねると、母が軽度の認知症になっていて困っていると告げられた。
父方の親戚のもとに、ほぼ他人の認知症老人を押し付ける訳にはいかない。
ひとりっ子の私は、しぶしぶ母を引き取りに行くことになった。

父は生死をさまよったあげく、病院での寝たきり生活に突入した。
父の看護と母の介護、これからの両親の全てが私の肩にのしかかる。

憎み切っている訳では無いが、どうしようもなく嫌い。人並みに幸せに生きては欲しいけど、できれば他人として関わることなく人生を過ごしたい。
これが小さい頃からの両親に対する思いだ。

そんな両親の今後の生活のために、私は毎日必死であちこち奔走している。
色々な問題が山積みで、どこから手をつけたら良いかも分からない。
うまく進まない不安と苛立ちのなかで、手伝っているつもりで必要な書類をめちゃくちゃにし、余計な手間を増やす母に怒りが爆発する。

とっくに自分のキャパシティの限界は超えている。
やけにリアルな設定の映画をVRで見ているようで、正直あまり現実感もない。
寝て起きてもまだ映画は続いているから、かろうじてあぁこれは現実なんだなと認識している。





ドアをノックする音で目が覚めた。
ベッドに突っ伏して、悲しいのか苦しいのか悔しいのかよく分からない涙を流しているうちに私は寝てしまったみたいだ。

無視を決め込んでいると、再びノックとともに母の声がした。
「カレー、持ってきたよ」
普段と変わらないけど、少し弱々しい声だった。

「いらない」
不機嫌な声で答えた。
「ここに置いておこうか」
「だから!いらないって言ってるでしょ!」
自分でも酷いと思っているのに、どうしていいか分からない。

無言で母が台所へ戻る気配がした。
あんなに辛く当たったのに、それでも母は私を心配してくれているのだ。
胸がきつく締め付けられる。

とっさに私はベッドから飛び起きて急いでドアを開けた。
「あのさ、カレー、食べるよ」
トレーを抱えた母の背中に声をかけると、ゆっくりと母は振り返った。

「だいぶ遅くなっちゃったから、お腹すいてたでしょう」
さっきの事などなかったかのように、いたって普通にしているのは、認知症で忘れてしまったのではなく気を使ってくれているのだと感じた。
「これ美味しいよ、チンしただけだけど」
無邪気にそう言って和ませてくれる母の笑顔に泣きそうになる。

「さっきはごめん。痛かったよね...」
「びっくりしたけど、でももう大丈夫だよ」
「ごめん.....色々ありすぎて気持ちの余裕が全くなくなってしまって」

私よりも先に母は泣いていた。

「わかってる、ちゃんとわかってるから......全部ひとりで....大変なのわかってるから」
トレーを両手で持ったまま、顔をくしゃくしゃにして涙声で母はそう言った。

母にとって言葉にするのはこれが精一杯だったのだろう。けれど、そこに込められた気持ちは言葉にせずとも伝わってきた。

長年の母とのわだかまりが、ゆっくりと柔らかく溶けていくようだった。
私の中の何かが明らかに変化したのを感じた。
それは、「おりこうさん」だった私の、遅く長すぎる反抗期の終わりの合図だった。



小学生だったとき、土曜日は夕方の水泳教室でお腹が空くから晩ご飯はカレーが食べたいとリクエストしてから、何年かの間、我が家ではずっと土曜日の夜はカレーと決まっていた。私は水泳教室から帰るとすぐに、濡れた水着も放ったらかしで必ず二杯はカレーのお代わりをして、母はいつも嬉しそうにお皿から溢れそうな大盛りにしてくれた。
よくも飽きずに毎週カレーを食べてたなと懐かしく思い出した。
そういえば、まだ絶縁中だった数ヶ月前、母との問題に解決の兆しを感じさせてくれたのも、食堂で注文した大盛りカレーだった。



すっかり冷めていたけれど、その日のレトルトカレーは私を温かい気持ちにさせてくれた。
カレーというのは母の愛の象徴なんだろうな、そんなふうに感じた。

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