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自己紹介③起業後の初挑戦:シンガポール進出

シンガポールへの挑戦

29歳で起業してからの最初の大きなチャレンジは、海外進出でした。

この決意の背景には、リクルート時代に美容室のお客様たちからよく聞かれていた「海外の美容業界はどうなの?」という質問が大きく影響しています。いつも「わかりません」としか答えられなかった自分を変えたいと思ったのです。

進出先の候補として、中国をはじめいくつかの国を検討しましたが、最終的に選んだのはシンガポール。東南アジアのハブとしての役割や、100%日本人株主での法人設立が可能であることなどが理由です。初めてシンガポールの地を踏んだときは、先進的かつ近未来的な美しい街並みと、日本人にとってのビジネス環境の良さを強く感じたものです。

シンガポールで有名なマーライオンとマリーナベイサンズ。最初見た時は感動しました。

立ちはだかる海外の壁

しかし、進出を果たすまでの道のりは簡単ではありませんでした。

まず、私は英語が苦手。シンガポールに行ってまともに言えるのは「チキンライス、プリーズ!」くらいしかないという有様ですから、現地の人々と交渉したり、心を通わせるまでには高い壁がありました。通訳スタッフに助けられながら、手探り状態でプロジェクトを進行するしかありませんでした。

さらに、日本と海外との商習慣の違いは大きな不安要素です。
例を挙げると、中国では、多くの日系美容室が進出を試みては撤退を繰り返しています。中国では設立する法人の株式の過半数以上を中国人が持つ必要があるため、お金の持ち逃げ等の詐欺に遭って撤退せざるを得なくなるというのです。シンガポールは中国ほどではないだろうとは思いましたが、プロジェクトを進行する過程で予想していなかった裏切りに直面することもあり、海外でのビジネスの難しさを痛感させられました。

それでも、日本とアジアの美容の架け橋になれるかもしれないという期待を胸に、奮闘を続けました。

シンガポールの美容室事情

シンガポールの美容業界は、知れば知るほど日本とは違っていました。

日本で美容師になるには、2年間の専門学校教育を受け、国家試験に合格しなければなりません。しかし、シンガポールにはそのようなルールがなく、簡易的な職業訓練を受けるだけで誰でも美容師になることができるのです。さらに、多くの美容師が隣国からの出稼ぎであることもわかり、日本とのあまりのクオリティの差に驚きました。

店舗のつくり方もだいぶ違っていました。
日本ではディーラーと呼ばれる問屋さんに頼めば、材料から美容機器や内装までの大半を手配することができます。調べてみると、シンガポールにはそのような仕組みはなく、材料は直接メーカーにコンタクトして仕入れ、シャンプー台・セット面や美容機器などは倉庫街に出向いて個別に購入する必要がありました。実際に倉庫街に行ってみると、突然誰かに拉致されどこかへ売り飛ばされてもおかしくないというような異質な雰囲気で、血の気が引きました。

そして、試行錯誤しながらプロジェクトを進めるものの、肝心の集客をどうするか。
日本での新規顧客獲得に欠かせないHotpepper Beautyは、当然ながらシンガポールにはありません。まず、ペルソナをシンガポールに駐在する日本人女性に絞り、郊外にできたばかりの日本のフランフランに出向いて日本人女性客に声をかけてみることにしました。そこで「マンゴスチン」という日本人向けのフリーペーパーの存在を知ることができ、これを集客に利用するという手段に辿り着いたのでした。

クラークキーも多くの日本人が集まるエリアです。ここにあるジャンボというチリクラブ屋が好きです。

日本との違いこそがビジネスチャンス

日本とシンガポールとでは、美容室のクオリティや運営の仕方に大きな差がある。試行錯誤を繰り返しながら調査してわかったこの事実が、まさにビジネスチャンスそのものだと思いました。現地にある一般的な美容室との差別化を図れば、きっといける!そう思い、3つの経営方針を定めました。

1. 透明な料金体系
2. 全員が日本人のスタイリスト
3. 上質なプライベート空間の提供

日本人美容師の高い技術力と細やかな接客スキル、高級感のある空間は、必ず需要があると見込みました。また、当時シンガポールの多くの美容室がショッピングモールに出店していた中、敢えて路面店を出すことで差別化しました。

そして、2012年11月、イタリア語で隠れ家を意味する「COVO」という名前を掲げ、第一号店をオープンしました。結果的にこれが大成功となり、今もシンガポールの多くのお客さまから支持を得ています。


COVO1号店。今となっては1シンガポールドル100円を超えますが、当時は1ドル60円の時代だったので、内装費用もまだ日本と同等くらいの価格で作れる時代でした。


当時、海外進出していた日系美容室は世界的に多くなく、さらに日本に拠点を置く会社が行っている例はほぼありませんでした。そのため、海外進出を検討している多くの美容室からコンタクトがありました。

英語が苦手で海外経験がない私でしたが、こうして海外ビジネスにも進出することができました。無謀に思えるチャレンジでも、挑戦しなければ実現の可能性はゼロのままですから、まずは挑んでみることが大切です。そして、挑戦したからには、自らの足で動き回り、しっかりとマーケティングをして結果を出す努力を惜しまない。そうすることで道は拓けてくると思います。


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