自分は何者かになりたいのか?
どうもsakuです。
もうあと10日でカナダバンクーバーワーホリも終わってしまうのですが、バンクーバーでのアート活動やVLOGなどその他諸々、趣味の範囲に収まる程度でやってみて、色々な出会いがありそれと同じだけのコミュニティを知ることができました。
その中で自分に対して疑問がふと浮かび、一度ではなく繰り返しその疑問が頭に思い浮かぶことがあったので、解決するためにも今回書こうかなと思っています。
キャンパスって買ったことありますか?
キャンパスじゃなくてもポスターとか絵が商品のもの
僕はキャンパスは買ったことがなくポスターを過去に5枚ほどですかね、
絵って値段ピンキリじゃないですか、
5万円のA1サイズくらいの絵があったとして、もちろんキャンパス、絵の具、筆、その他諸々ツールとなるものの価値はありますが、絵の値段ってかなりの割合がアーティストによるアウトプット、表現に価値がありますよね。
価値があるのはアーティストだと思うんです。
初めて絵を売った時は制作時間を最低時給換算して値段を決めました。
相場のない媒体で言い値で決まる世界
面白い上に怖いです。
もちろん消費者の立場もわかります。安くいいものが手に入るならそれに越したことはないのですが、タトゥーをやっていて値段には価値を決めると共にデポジットのようなものでもあると感じることがあります。
いちアーティストの意見としては設定された値段に不満を少しでも感じたならその作品には触れないで欲しいんです。値下げ交渉をしてくる人なんて本当に失礼だと思う面もあるのですが、限られた資金の中でそれをしてまで作品を手にしたいという気持ちは嬉しいです。複雑…
さあ脱線しまくってるので戻しましょう。
タイトルを回収しないといけませんね笑
自分は何者かになりたいのか?
これを思ったきっかけはこのワーキングホリデー中に自分のことをアーティストとして認識してくれている人が多く、自分からもアーティストだと口にできるようなほどの自信がついた時くらいですかね
なんで絵を描く?なぜ表現する?
過去の僕のnoteを読んだことのある人は理解しやすいかもしれません
多分僕は誰かになりたくない
自分が誰にもなれないことはわかってるし
誰かが自分になれないこともわかってる。誰かになりたいわけではないが絵を描く。
なぜ?
元々、自分のルーツ上1人のことが多くそれがきっかけで始まったことだとは思っています。でも今そうではなくなったのに何故継続しているのか、なぜ自信を持ってこれからも継続していくだろうと思えるのか。
承認欲求が主な原因だとおもています。褒められたい、認められたい、
それに気がついた時になんか胸がギュッと狭くなった気がしました。
承認欲求
そんな目的で書いていたのかと思うとなんかこうこだわり的なもの?プライド?のようなものが蔑ろになった気がしました。
ですがそれを否定できないほどの納得感。
では今の承認欲求が満たされた後、さらなる承認欲求が生まれるのか?生まれなかった場合私は手を止めるのか?
わかりません
別の説として最も納得できるのが
自分の証明
生年月日、名前、顔、住所、など個人情報で自分が誰なのかなんて証明できません。
私のことを全く知らない人はそれを聞いてピンとこないんです。
きっと私の理想とする自分の証明とは、誰かが私の作品を見て記憶に残り、2回目に別の作品を見た時に僕は僕の証明ができると思います。
あ、この絵見たことある、あの作品と同じ人かな?
これが僕の作品から生まれたら僕は誰かではなく、何者かにでもなく、自分になれる証明ができ、自分を認められると思います。
そこの憧れがあって表現してるのかもしれないですね。
まぁ、わかんないですけど。
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