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友人𝐔

私は友達が少ない。
ゼロとは言わないが、片手で足りる。

その理由として、不細工だとか性格が悪いとか話が死ぬほどつまらんとか、ではないと思う。
(そう信じている)

ただ、はちゃめちゃに自己肯定感が低い。
ポジティブ思考などとうの昔に捨てている。
心に虫が住みつき
「お前、あかんなあ」
と、しきりに頭を叩いてくる。

そんな私の、友人𝐔。

𝐔はおかしな奴だった。
勉強ができないくせに、妙に物知りで、
人見知りなくせに、目立ちたがり。
生まれもったその綺麗な顔で、大人を激しく嫌っていた。

「私みたいな人間はいまに淘汰される」
「淘汰?」
「絶滅するんだよ」
「絶滅?」
「あんたは頭がいいくせに話が通じないね」
「𝐔が死ぬってこと?」
「ちょっとは自分の頭で考えな」

𝐔がしばらく学校に来ないと、私は海へ行く。
「学校が嫌なの?」
尋ねると、𝐔は決まってこう言った。
「たまに、陸での呼吸の仕方を忘れるんだ」

「君は人魚姫か何か?」
私は呆れて、浜辺に腰を下ろした。


私たちが暮らすこの街には、言い伝えがある。

“海には女神が棲んでいる”
“女神は海の生態系と安寧を守っている”

漁師たちが今日も安全に船を出すのは、女神のおかげだと婆ちゃんは言った。

「海の女神を見たことがあるよ」
𝐔は私に打ち明けた。高校三年生、18の夏。
「綺麗だった?」
「私ほどじゃなかったな」
「私ほどでも?」
「あんたよりは美人だよ」
憎たらしい口調で私をからかうたびに、双眸を細める。彫刻のような顔だった。

日が落ちてきて、潮風が身にしみる。
「帰ろうよ」
「もう少しいる」
私が促しても𝐔は海から上がろうとしない。

靴を持って堤防に上がる途中で、真っ黒な世界に𝐔の白い顔が浮かぶのが見えた。
「明日は学校来なよ!」
叫んだが、返事はなかった。

翌日も、𝐔は学校に来なかった。
そろそろ出席日数が危ないらしい。
本気で奴を引きずり出す必要がある。

しかし海にも𝐔はいなかった。
あいつめ、こうも私を手こずらせるか。
夜になるまで待ったが、姿はない。
見つからない苛立ちが次第に焦りに変わる。

田舎の夜は暗い。
𝐔、まだ私をからかうのか。

そのときだった。
海の底から光が漏れていることに気がついた。
普段は穏やかな波が、風もないのに騒ぐ。
光は確実に水面へと近づいてきている。
私は嫌な汗をかいていた。

𝐔だろうか。
海に潜って懐中電灯を照らし、私を脅かそうというのか。
冗談にしてはやりすぎだ。

あ。
静かに沸く水の中心に、女がいた。
長い髪がたゆたう、綺麗な女。
𝐔ではない。

私は思い出した。
婆ちゃんが語る、ここの言い伝え。

“海には女神が棲んでいる”
“女神は海の生態系と安寧を守っている”

それには続きがあった。

“その代わりに、人を攫うのだ”
いちばん美しい「少女」を。


𝐔はいつか居なくなると思っていた。
あまりに綺麗で儚いから、いつのまにか消えてしまう気がした。
けれど、制服を着ているあいだはここにいると思い込んでいたのだ。私は過信していた。

私は友達が少ない。
𝐔が居なくなったら、一人になってしまう。


ああ、女神さま。

私、何でもします。
私はきれいじゃないから、代わりにはなれないでしょう。
他のことなら何でもするから。だから。

𝐔を連れていかないで。




「あんた何してんの」

冷めたような声がして、私は正気を取り戻す。
海には誰もいない。
光さえ見えなかった。
「𝐔!」
少女の手を取り、私は走り出した。

「あんたも見たの?海の女神」
「うん」
「どうだった?」

「𝐔のほうがずっと綺麗だった」


友人𝐔。
綺麗で孤独で意地悪な、私の女の子の話。

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