苺を送ってくれる母の話

時期になると、母はたくさんの苺を送ってくれる。

私の実家は、家電を買う時に「とりあえず1番高いやつ」と言う揃え方をする程度にお金に困っていない家ではある。

一方、我が家は1番安く卵を仕入れるためにスーパーを梯子するくらいの生活水準なので、
旬な苺が届くのを毎年たのしみに過ごしている。

私の、血縁がある父、所謂「実の父親」は、お金を稼ぐ事に向いていない人だったらしい。

闘争心競争心があまりなく、よく言えば穏やかで優しい、悪く言えば嫌な事から逃げる人だったようで、出世にもあまり興味がなく 後から入社した後輩に昇給順を抜かれてもあまり気にしない人だったと聞く。

給与は月に10万程度で、母は 家賃光熱費・旦那の小遣いを抜いた2万ほどでひとつきを過ごさねばならない生活を強いられていた。それは子供(私と妹)が生まれてからも変わらなかった。

そんな彼でも世間体は気になるようで、当時 当たり前の価値観として浸透していた「女は専業主婦で家を守り、男は大黒柱として稼ぐのみ」と言ったスタンスを貫き 働きに出たいという母の言葉はいつも聞き入れられなかった。

幼い私の手を引き、さらに幼い妹を抱き買い出しに行くと、スーパーの入り口にある苺を見て、私は「いちごが食べたい」と強請ったそうだ。

苺を買っては肉が買えない。
肉を買っては苺が買えない。
苺では腹は膨らまない。

毎回 泣いて駄々をこねる私を見て、母は悲しかったとよく話す。

「あれ程、惨めな事はない。最愛の娘の食べたいものひとつ買ってやれない、そんな日々」

離婚してからも大変だったと。
働きに出た母は、資格も技術もなく
個人経営の居酒屋の厨房で働いた。
流し台の真横に開けっ放しの裏口があり
裏手の駐車場に停めた車に乗って留守番をさせられた。
大泣きする私と、状況を理解しておらずにニコニコしている妹を不安いっぱいで見守りながら
今日食うためだけに働いたそうだ。
賄いで貰えるおにぎりを持って車に戻り、3人で分け合い食べる日々だったと。

その後、間も無くして母は今の父に出会う。

トイザらスに連れて行ってもらって、
初めて今の父に出会った時、
「なんでも買ってあげるよ」と言われた。
それからマクドナルドに行ってハッピーセットを頼んでもらった。
もちろんちゃんと妹と私で1つずつ。

私にとってトイザらスは遊園地並みに魅力的な場所だったし、マクドナルドのハッピーセットはご馳走だった。

今の父を「パパ」と呼び一緒に暮らすようになってから、金銭面で苦労した記憶は1度も無い。

母は、父の財力が目当てだったと言い
父は、母の若さと美貌が目当てだったと言う。
無神経で仕事一筋の父と、ヒステリックで世話焼きな母はなんだかんだで相性が良かったかもしれない。不思議な形の家族だが、それはそれでまとまりが良かったのだろう。

実家に帰ると 今は滅多に怒らなくなった母がキッチンに立ち、性懲りも無く豆腐に醤油をかけすぎる父に小言を言い合いながら、私に苺がたくさん盛られた皿を持ってきてくれる。

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