あと9年
1年前、私が23歳のとき。
「あと10年は頑張って生きよう」と思い立ちました。
当時、色々あって精神的に病み上がりだった私。
どうにもその先の「大人になった自分」というものが思い浮かべず、なんとか死なないようにしようと、立てた人生の(仮の)目標でした。
当初の予定では、これを1年ごとに「あと10年」「あと10年」と思い直して、なんとか生き延びる算段でした。
ですが、今年24になってふと思う。
「あと10年…めんどくせえな。9年にしよう9年。」
はい、もうお分かりですね。
私の人生のカウントダウンが始まってしまいました。
勝手になのは承知。なんだかんだどうせ生き延びていような気は割としています。
なので、これも仮。私の人生の「仮の」タイムリミットは2033年、つまり私が33歳になった時と(勝手に)決まったのです!!
でも、その頃には大体の人生の方向性は決まってくる時期だろうとも思うので、むしろ丁度良いのかもしれません。なので、33歳です。人生のタイムリミット。
何でそんなこと考えるのだろう、とふと思う。
最近、「愛するということ」という本を読み始めました。かなり古い本。何十年前の本なんだろうか。
中身は、哲学書? 心理学の本? それともどっちでもある? あるいはその対偶か。読んでいて、まるで「博愛主義になれ」とでも言われているような気持ちでした。人間に期待しすぎじゃないですかね、とアクマな自分。
結婚、という言葉が頭をよぎる。結婚したい、とは思ってるのかもしれない。でもそれって、人をめちゃくちゃ愛してる!! って自信を持って言えないと到底無理だよな。だって、そうじゃない? 人と一生寄り添って生きていくって、きっとそういうことでしょ。
僕は人を愛せているのだろうか。勿論、身近な人は好き。友だちだとか、先輩だとか。後輩は会社だとまだ出来てない、というかあんまり話せてないけど。
だから、人は好き? でも、大人数でワイワイは苦手。これは間違いない。
騒がしいのは嫌い。これは、身内がじゃなくてオーディエンスが。そういう「騒々しい」のはダイキライ。
あと愚痴も嫌い。話すのも聞くのもお断りしたい。特に人を侮蔑するようなものなら、僕はその人を軽蔑したくなるかもしれない。でも、そういうのって言いたくなるもんなのも分かる。だから、言えない。言えないけど聞かないようにはしている。でも聞かないとなると、人の話についていけない? 私1人、取り残されているのだろうか。
なんも分かんない。分かんない、ということしか分かってない。
とりあえず、あと9年。生きる手がかりを見つけるために、僕は旅に出ます。テーマは「自分張り逆張り」。今考えた。
そうしたらなんか、少しは生き延びれそうな気がしない? 私はそう思います。