動くから可愛い
ノスタルジックと言わないでほしい動きが見えるから可愛いし応援したくなる
私の子供の頃 人も機械もみんな一生懸命働いていた。
まだ暗い朝、豆腐屋の煙突から火の粉交じりの煙がもくもく出て、 パン屋の煙突からも 煙がボンボン出ていた。
煙なんて あの時代は公害でも何でもなく生きる全ての象徴であり、見ると朝一の元気の素そのものだった。
だからみんなの生活 の勢いが黙々と雲になって出て行くと思っていた 。
昼飯を食べた頃から 、風呂屋の煙突から黒い煙が モクモク と立って ああ生きているんだな 煙突は空に向かって一生懸命 呼吸をしてるようで ものすごく愛らしく思ったことを思い出す。
私の思い出に 煙突は公害ではなく そこに働いてる人たちの希望でもあった そんな気がします 。
まだ小学生だったけど風呂屋の窯焚きの お兄ちゃんのパンツ一丁で薪をくべている感じがかっこ良くって憧れた。
今の子供なら新幹線の運転手になりたいなんていう希望もあるんだろうけど、私は風呂屋の釜炊きになりたいと思っていた。
小学校を卒業して中学に入った頃に 千住におばけ煙突という煙突があって4本の煙突が方向によっていろいろな本数に見られるというのを聞いて、 見に行きたくて 吉祥寺から電車に乗って 千住ってどうやって行くんだなんて思いながら 、今のように電車に 路線図を貼ってないし不安で不安でしょうがなかった。
けれども その時 内緒で兄のミノルタの二眼レフを持って行って、初めて自分で構図を考えて写真を撮った。
結局なんだかんだ 帰ってきたのが8時過ぎ 、家に帰ってきたら親父はブスッとっとしてるし 母ちゃんはカンカンに怒ってた、 少年の頃の 大冒険だったんだろうね いまだにふと思い出すんですよ。
だから未だに煙突を見ると勇ましく天に向かって煙を吐く姿が好きだけど久しく見ていない。
私は煙を吐く煙突には決して悪い 思い出はない、むしろ いい思い出だと思う 。
旅行などで知らない場所で煙突を見ると、一生懸命 写真を撮っています。
最近は観光資源としてSLの運行が行われ、秩父鉄道のC58、真岡鉄道の
C11C12の小型機
など関東地方でも走っていますがSLの魅力は、煙を吐きながら坂を上る姿に感動して頑張れと思わず心で叫ぶものですよね。
このデジタルの時代頑張って動いている物見ますか。
車は電気になり音もなく走り、新幹線はシラーと320キロで走る。
それが当たり前だから頑張れとも思わない。
レコードで音を聞くのに時間が掛かったり、フィルムカメラで写真を撮っても結果がすぐ見られない、でもレコードは針が溝の上を走り音が出る事を確認できる、フィルムカメラは撮影すればフィルムを巻き上げる事で撮った事を確認できる。
そう!見えるから応援できるし頑張れともいえる、アナログ=見える。
今の時代スイッチを押せば音が鳴りシャッターを押せば写真が撮れる、でも目で見ても何処も動いてない、これじゃ~働きが見えないから頑張れの気持ちも湧きあがらない、頑張れの一言も掛けられない。
人は ノスタルジックと言うかもしれないけど、私には今この目の前の動きを見る事ができるから好きであり、愛しているのだ、紙面とはいえ堂々と愛してると言えるレコードとフィルムカメラ死ぬまで使うぞ、そして俺の葬儀にはレコードで音楽を流し遺影はフィルムカメラで撮った写真を飾りたい。
もしかしたらあまりにも嬉しくて生き返るかもしれない (笑)