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いつか訪れる最期について考える

幼い頃、泣きながら何もない一本道をただただ歩いている、それが死に対するイメージだった。
死んだらどうなるんだろう? 怖いけど、人に聞けなかった。
小学生の時、おじいちゃんが死んで悲しかった。でも病気でお見舞いで会いに行って姿をみていたらああいつかいなくなるんだ、と予感はあったし、夢でも会えたから、人が亡くなることそのものへの怖さは、今よりもなかったような気がする。会えなくなることが寂しかった。


ただ、大人になるにつれ、死について考えることはしなくなった。たぶん無意識に、うっすらと心に膜をかけるように。「その時」のことには目を背けていたかった。
みようとしなくなったらどんどん怖くなって、うまく人とのお別れもできなくなっていった。

わりと病気になることが多いし体を雑に扱ってきた人生だから早死にしたらどうしようとか、今ぼーとしてて危なかったなとひやっとする瞬間はあっても、根底にはまだ生きていたい、があるので、だからこそあまり、深くは考えてこなかった。

コロナ禍になってこの数年で、何度か思いもよらない唐突な知らせを耳にした。
直接ではなく自分にとっては少し遠い、いくつかの訃報をSNSで見ることも何だか増えたように思う。

お別れて何だかやっぱりいまいち実感がもてなくて、私はどうしたいんだろう、感じているんだろう、てぐるぐる思うことが色々あった。時が経てば薄れてしまう記憶が怖かったり悲しかったり、でもその自分の感情さえ疑ってしまうことがあった。

いろいろと言語化や気持ちの消化ができなかった時に目にした企画が、私の心を揺らした。

『弔いをテーマとした語りと即興の実践』というのは目から鱗だったし、未知の今まで少なくとも私がみたことがないテーマと即興を交えることに衝撃を受けた。ぜひ自分も携わりたい、と心が動いた。
(このツイートは公演告知後のものを引用させてもらったけれど、企画段階で目にした時のツイートをみて、主宰であるだいらに参加したい…!と勢いで連絡をしました。めちゃくちゃ助けてもらってばかりやけど、運営兼出演者として関わらせていただいています。)

正直、どこかで人とは話さずに黙していた、というか、検閲をかけていた、何となく話すのを避けてきたテーマだったと思う。うまく言語化できないまま、人にあまり伝えてこなかったことだけど、本当はどこかで共有したいという気持ちもあった。

語る、ということで誰かを悲しませたり不快な思いをさせたいわけではないから、私はパーソナルな話題とか、扱いづらいものは、つい安全圏に逃げて触れようとしないことが今まで多かったような気がする。いや、ちがうな、きっと自分が傷つきたくなくて避けてきた。

でも自分にとってはたいしたことがない、と思って何気なく発したことが、相手にとっては大切だったり複雑な問題で、気づかないうちに踏み入って傷つけてしまったこともあったかもしれない。

この企画の稽古に参加するうちに、はっとさせられることがあったり、他者と話し合ったり感情を共有する上での自分のあり方についても改めて考えさせられた。

いくらでも人は鈍感にもなれるし、私はうっすらと怖いものとかわからない事柄や気持ちにフィルターをかけて、自分を守ろうとしてきたずるさや弱さを持ち合わせてきた瞬間も無自覚にもきっとあるのだと思う。
もちろん、人間なのだから、それがないという人はなかなか、いやいないかもしれないけれど。そして鈍感さの全てが悪と言うわけでもないけれど、でも今私は、自分の意見を率直に他者に話したいと同時に、周りのことに目を向け、もっと気遣える人にもなりたいと思った。昔、鈍感にならなければ生きていけない時、自分を武装していたけれど、今の周りは私のことを受けとめてくれる人たちがたくさんいると分かっているから。

嫌なことから逃げるのも決して悪ではないけれど、何を選んでもリスクがあるならば、鋭敏に、繊細に、人や物事と関われる人になりたい。今、それができる環境で対話を、芝居する機会を与えてもらっている。様々な人に支えてもらって、模索したり、悔しかったり、落ち込んだり、その全てが生きる証になっている。


最期に、何を思うのだろうかとふと考える。
想像もつかないけれど、何かを伝えないままとかじゃなくて、勇気を振り絞って自分の命を魂を出し続けて。私は私に胸をはれる、生まれてきてはちゃめちゃよかったなって、精一杯関わってくれた人たちへの感謝を伝えて、この世界を旅立とう。

それはまだまだ遠いいつかであって欲しい。弱かったり自信がなかったり、でも視野が少しずつ広がりさまざまなことに気づけたり、悩めることが幸せだと思う私は、ひたすら今全力で世界を駆け巡って、さらに多くの人に出会って話して、やさしい最期がくるまで、温かい記憶がこの地に根づくまで、私と言う名の種を撒き続けたいという野望のようなものがあるのだと今気づく。口にだすのは恥ずかしいけど、幼い頃から漠然としたこの世界に三旗を立てたいと思っている感覚が、この数年でむくむく形となり強くなった気がする。

死にたいって思うことも、生きたいと思うことも、死と向き合うのが怖いのも全て、私の真実なんだな。

ついつい、考えて夜更かしをしてしまったけれど、もうそろそろ今日は一旦置いて、体をいたわって寝ることにします。ここまで付き合ってくれてありがとう。

そして、先ほど話した企画に興味がある方は、よかったら詳細を下に載せるので、ご覧下さい。あなたとご一緒して時間を共有できたら、とてもうれしいです。

来月の1日、都内で開かれる会になります。
昼回は満席でキャンセル待ちですが、夜は若干お席がありますので、何卒。

*詳細*

『弔いをテーマとした語りと即興の実践』

●日時
4月1日(土) 14時・18時
各回約80分

●場所
兎亭
江古田駅徒歩7分

●出演者
daira
海原優騎(劇団しおむすび・カタリ工房)
福本桜
石巻遥菜
会原実希(インプロカンパニーPlatform)

●料金
2000円・1ドリンク付き

●予約
https://forms.gle/sEn8Gyn1pybtue9MA


大好きな先輩がかっこいいといってくれたチラシ(制作天才)
詳細
この場での共有事項

何か不明点や不安なことなどありましたら、お気軽にコメント等にてご連絡くださいませ🍀
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました…!


写真
こえだ

追記
この写真を撮ってくれたこえだに、稽古でぐっと自分の価値観について考え悩む瞬間があった日に連絡した。
自分に落ち込んでいた稽古の帰り道、悔しいて思ったからもっと繊細に真摯に一つ一つに向き合いたいんだ、て気持ちのままにLINEをしたら、画面越しにやさしいことばが返ってきて、話を聴いてくれたのが嬉しかった。うまくいえんけど。
仲間に、友達に、たくさん日々支えられて、自分の感情に向き合うことができている。稽古の場でも日常でも、本当に、ひしひしと。
いつもありがとう。

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桜
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