11月9日 母のこと
10月のはじめに、半年ぶりに実家へ帰省しました。4月に島根にきてから、忙しかったのもありなかなか帰れず、やっと、念願の、待ちに待った、時間でした。
母とふたりで、地元のカフェに行ったとき、
「こっちに帰ってきたら、お店やりたいんよね〜」そういうわたしに、母はごく自然と
「いいやん。なんのお店?」と返しました。
わたしが二十歳だった7年前は、二言目には反対ばかりの母でした。
アメリカへ一人旅へ行くと言ったときも、ヒッチハイクを始めたときも、大学を卒業したら恋人と暮らしたいと言ったときも。
今思えば、それは母なりにわたしを心配してくれていたからで、そして反対はしても結局はわたしのやりたいようにさせてくれていました。
それでも当時のわたしには、母が肯定してくれないことが辛くて、なぜ母の理想の娘になれないのかと苦しくて、口を開けば喧嘩になるからと同じ空間にいても何も話さなくなりました。
この人には何を言っても無駄だ。わたしのことを全然わかってくれない。そう思ったわたしは、大学卒業後、両親に大した説明もせずに仕事のため遠く離れた東北の町へ引っ越しました。
そして、ほんの4年前。
様々なことがあり、仕事も、お金も、恋人も、自信も失って、居場所をなくしたわたしを受け入れてくれたのは両親でした。
一年半の間、ろくに連絡もせず、何をしているのかも話さなかったわたしが、前日に「仕事を辞めることになったから、明日帰る」とだけ電話をして、実家に戻りました。
きっと驚いていたし、聞きたいこともあっただろうけど、何も言わずに受け入れてくれました。
それから母と、いっしょに暮らす中で、時にケンカもしながらたくさんの言葉を交わしました。
「さくらが一番辛かったときに、そばにいてあげれんくてごめんね」
「さくらの幸せがお母さんの幸せやよ」
たくさん抱きしめてもらいました。
今、わたしは母が大好きです。
優しくて、不器用で、尽くしたがりで、真面目な母。かわいい人だなぁと思います。
ふと目に止まった磨りガラスの影の写真を撮っていると、「さくらは目の付け所がちがうなぁ〜」と母が言いました。
だれの、どんな言葉よりも、母の言葉がうれしい。
お店をしたいというわたしの夢を、母が二言目に肯定し、応援してくれたこと。
母が変化したようにわたしも変化していて、とても心地いい関係を築けているなぁと、しあわせな気持ちになりました。
わたしはずっと、思う存分愛していい存在を探していたけれど、わたしにとってのそれは恋人という存在ではなく、“お母さん” だ。
今朝なんとなくおりてきた想い。
あんなにもかわいくて、あんなにもわたしを愛してくれる人を、わたしは知りません。
もっともっと素直に、大好きもありがとうも、好きなところも伝えていいんだと思うと、小さな子どもが母親を愛するように愛していいのだと思うと、うれしさで胸がいっぱいになります。
母にこんなにも甘えられるようになること、昔の自分には想像もつかなかったなぁ。
いろいろなことがあったけど、いますごくすごく幸せです。
母はわたしの撮る写真が好き。この前は幼なじみがいる前で「さくらは上手に写真を撮るんよ〜」と言い出してすこし恥ずかしかった。
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