(2023年6月10日)父が亡くなって6日
令和5年6月4日。父が他界しました。
去年の10月に食道癌が見つかり、7ヶ月間の闘病の末、63歳で生涯を終えました。
父のこともあって、3月末までを予定していた島根での生活を1月末までとして郡上に戻り、2月からは退院した父と暮らしていました。
とても濃密な4ヶ月間だったように思います。
お父さんが病気になって初めて、お父さんのことが大好きだということに氣がつきました。
寂しい、悲しい、その奥の奥の奥にある “愛しい” を感じて、たくさんたくさん泣きました。
突拍子のないわたしの生き方を、父はいつも受け入れてくれました。
大学で大阪に行きたいと言ったときも、ひとりでアメリカに行ったときも、ヒッチハイクをしたときも、急に山形に引っ越したときも、一度も何も反対されませんでした。
そして、体や心を病んだときには「帰ってこい」と言ってくれる人でした。
わたしが自由に軽やかに飛び回れていたのは、父という絶対的な安心感があったからだと今になって思います。
それがどれだけ恵まれていることなのか、当たり前すぎて氣づいてなかったなぁ。
「お父さん 頑張るで」と、最後まで言ってくれました。
わたしの前では弱音を一つも吐きませんでした。
世界一かっこいい父でした。
やり切ったから後悔はありません。
毎晩マッサージをしたし、大好きって何度も伝えたし、お父さんの前でも泣いたし。
父は「ありがとう」と「ごめんね」が言えない人でしたが、病気になってからさらっと言えるようになりました。
家族で声をかけ合って、一番 “家族らしい” 時間を過ごしました。
父との何でもない日々を慈しむことができました。
病気が与えてくれたギフトがたくさんあります。
辛いけど、寂しいけど、幸せやなぁと思える今が有り難く、感謝しかありません。
『ポツンと一軒家』を録画してまで観るような父だったので、わたしの描く未来を誰よりも楽しみにしてくれているのだと思います。
ゆっくり休んだら ぼちぼち動き出します。
でも、ほんとは、お父さんといっしょに、いろんなことやりたかったなぁ。
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たくさんの方々に支えられて、乗り切ることができました。
本当にありがとうございました。
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写真は父が亡くなった翌朝。縁側からの景色。
どんなときだって世界はわたしの味方で
美しさをとおして寄り添ってくれているのだと
思ってしまうほどに美しかった。
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