アニメ Ave Mujica 7話妄想 千早愛音さんの想い
7話の千早愛音さんって難しくて。元 CRYCHIC の面々をステージに送り出すに至るまで、そして「人間になりたいうたⅡ」を経て「春日影」を聴いた彼女の胸中。彼女の意思・感情の決定要素はいくつもあり、しかも、ポジティブなものもネガティブなものも、どちらもあります。
大きな括りで言えば、友達を応援する思い、対して、友達からの疎外感。前者であれば、5〜7話、MyGO!!!!! 側の元 CRYCHIC メンバーだけでなく、祥子さん、睦ちゃん、モーティスさんら全員を気にかけるに足る要素が描かれます。一方後者について、燈さんの「祥ちゃん、バンドやろう」に、回をまたいで印象的な反応を返し、無敵の彼女だって疎外感を味わうことがあると示しました。もちろん、It’s MyGO!!!!! で描かれた彼女のアイデンティティ・居場所の変化も重要な背景となります。
これら、Ave Mujica 7話前半までに描かれた千早愛音さんを基に、7話後半の彼女の想いを妄想していきます。
まず、彼女が元 CRYCHIC の面々を送り出すまで。ここで重要なのは、「人間になりたいうたⅡ」の内容です。この詩は、高松燈さんが豊川祥子さんに、ぐちゃぐちゃでも伝えたかった想い。それは、千早愛音さんがずっと見てきた、届いているのに届かなかった、付箋の延長線上にあるものです。高松燈さんが一番想いを伝えられるのは一緒にバンドをする相手で、それは千早愛音さんもよく理解していることで。燈さんと元 CRYCHIC の面々をステージに送り出したのは、ともりんから祥子ちゃんへ、一番良い方法で想いを届けて欲しかったからだと思います。
加えて、届けるための詩というのは、CRYCHIC の高松燈ではなく、MyGO!!!!! の高松燈に特有のもの。だから、送り出すことに躊躇いなんてなくて。「もうその曲やんなよ。楽奈ちゃんどっか行っちゃって、リハできないし」とほんの少し不機嫌そうに言うのも、きっと元 CRYCHIC の面々に恩を着せないようにするための、愛音さんの配慮で。彼女が笑顔を見せてからわざとらしいため息を吐いている様子は、そう思うには十分なものです。
ただ、「春日影」をやるとなると、千早愛音さんも少し話が変わってきて。「人間になりたいうたⅡ」をニコニコ聴いていた彼女も、少し複雑な表情を浮かべている気がします。だって、「春日影」は CRYCHIC として過ごした日々の再演に他なりませんから。MyGO!!!!! の衣装に身を包んだ高松燈さんはともかく、視聴者にはモノローグまで聞こえたそよさん、りっきー、祥子ちゃんは、あの頃の彼女たちに身を委ねているようで。疎外感はありますよね。睦ちゃんにギターを渡したタイミングでは、千早愛音さんは「春日影」を演奏することになるとは思っていなかったはずです。でも、彼女の中で、そりゃ「春日影」やるよね、みたいな納得はあったんじゃないかって気がします。
疎外感、でもトリガーは自分が引いていること、そして、目の前の友達たちが納得できたことへの喜び、慈しみ。複雑性の中身はきっとこんなラインナップです。睦ちゃんにありがとうと言われ、自分は間違っていなかったと確信してもなお、彼女の中に小さなわだかまりは残っていると思います。
以上が、7話の彼女に対する、私の認識です。じゃあ、7話の彼女を私はどう思うか。
一言でいえば、彼女自身の理想の姿として振舞えたんじゃないかと思います。彼女って、自分自身に対してもそうなんですが、他者に対しても、こうあって欲しいって想いが強い人です。ちょっと豊川祥子さんに似てて。ただ、千早愛音さんのそれは押し付けるような感じではなく。あくまでそれが自身の願いであることを弁え、相手の感情を蔑ろにせず、願いを叶えていきます。それもなるべく、彼女が恩を着せてしまうような形にならないように。彼女自身、そんな自分でありたいと願い、計算ずくで自分を動かしているところがあって。7話においては、元 CRYCHIC メンバーに対する、特に燈ちゃんに対する在り方として、見事に達成されています。
もっと言えば、その過程で生じる悲しみとか、認識する自分の弱さにだって、意識して目を瞑れてしまう人だと思っています。「春日影」を聴いた彼女の表情も、その意味ですごく彼女らしい表情でした。
彼女の中にわだかまりが残ったって、それを飲み込む彼女の強さ。迷子でも進む、進む中で傷つくこともある。それでも進み続ける彼女を支えるものって、やっぱり燈さんの絆創膏なんだろうな。
~ tman forever and ever ~
余談 千早愛音さんへの処方箋、私への処方箋
本論に書いた通り、千早愛音さんは自分の行動を悔いていないと思います。でも、全く引っかかるものがないわけではなく。そんな彼女に何があれば、「春日影」に感じたわだかまりを昇華できるのか。
やはりそれは、そよりん、りっきーからのありがとうだと思います。彼女たちにその思いがない訳じゃなくて、でもきっかけがなければ、直接伝えることはできなさそうで。そうこうしているうちに、彼女たちから滲み出る何かを、千早愛音さんが感謝と理解してしまいそうな気もします。一方で、もし直接的なありがとうが来たら、千早愛音さんはちょっとたじろいでしまうというか、別に大したことなんてしてないしみたいな、そんなこと言いそうな気もして。
ただ、上記が描かれることはないでしょう。だって、Ave Mujica は千早愛音さんの物語ではありませんから。アニメの本筋から見て重要なのは、千早愛音さんから Ave Mujica への作用であり、彼女ではありません。
実際、睦ちゃんが千早愛音さんに感謝する場面、初めてギターを歌わせられた機会として、大切な場を設けてくれた友達へ礼を伝える様子は、重要なシーンとして描かれていると思います。そして、今後あるとすれば、豊川祥子さんが音楽室に来た千早愛音さんに、改めて感謝の言葉を伝えるシーンでしょう。
千早愛音さんにとって大事な話が公には描かれないこと、少し悲しいと言えば悲しいです。一方、描かれない現状は、それはそれで好ましいもので。描かれないことは無いことではなく、むしろ無数の可能性として存在しています。美しい可能性の総体から、そのひとしずくをすくい上げるような二次創作、私はめちゃくちゃ観たいです。