4歳と1歳を山村留学させた話
実は、1年前の冬娘2人を山村留学させた。
山村留学と言っても、実際は里帰りのほうが近くて。山村なんて言ってしまうのは少し失礼なくらいただ「山梨にある夫の実家(集落)に滞在して近くの保育園に通う」というとても安全かつわかりやすいもの。
私自身が人生で1年間の寮生活・ホームステイ・海外留学など結構親元を離れる機会が多く、その経験が自分のワイルドさを高めてくれたと感じてるから「親元のサポートのもと親元を離れる」ことはすごく有益だと思っている。
そしてなんか色々きっかけが重なって(話すと長ーーくなるので割愛w)
「約1週間親元を離れていつもと違う環境に身を置く」という経験を娘たちにしてもらったんだけど、その話をすると意外と「え!すご!」とか「うちの小学生4年生の娘は1日も1人きりでおばあちゃんちに泊まれないと思います!」とか言われて、想像以上に異常だったのかなと思いこの経験をシェアします。
なんか読んで、子どもって逞しいよね、過保護にしすぎる必要ないよね、って思ってもらえたら嬉しいです。
準備
夫の実家に預けることを決めたのが預ける2か月前。
実家の近くの保育園を自治体のサイトからいくつか探すと近くに自然とのふれあいや食育を大切にするあたたかい園に出会った。実家から車で10分以内の最寄りの園でもあった。
早速電話をして事情を話すと快く受け入れてくれて「一時預かり(日計算)」として可能だと教えてくれた。
1歳でようやく歩けるかどうかの次女も安心して暮らせるようにおねえちゃんと同じ幼児クラスで預かってもらえるという特別配慮をしていただいた。
いろいろと心身ともに切羽詰まっていたなかで一筋の光、救世主のように感じた。必要な書類も郵送で対応してもらえた。
ちょうど年末年始の時期だったので、帰省も兼ねて夫と長女の2人で保育園の下見と挨拶。
そこで「あらゆうちゃんじゃないの?」なんて声かけられたかと思ったら夫の幼少期通っていた保育園の先生たちに30年ぶりに偶然再会して、顔見知りがたくさんいる園だったなんていうほっこり奇遇エピソードもありつつ、私自身が自然に囲まれた地域に強い憧れがあったので楽しみしかなかった。
実家での生活
いよいよ山梨へ出発
東京から動き回る幼児2人を連れた新幹線移動。
こだまで1時間、子連れだとちょうどいい時間。
駅でバイバイも考えたけれど、ホームステイという新しい環境に行くのだからせめて引き継ぎや一緒の時間も作ってあげようと保育園が始まる前日にママも義実家に1泊。
保育園に初日登園するところまでついていって、がんばれ~~~~~の気持ちでハグ。気丈に振る舞う4歳ととりあえず知らない人だらけで号泣の1歳。
ママなしでの生活
初日の保育園から帰宅するとすごく楽しそうに園での出来事やおばあちゃんに連れてってもらったところ、お手伝いしたことなどたくさんたくさんを伝えてくれた。
頑張っているんだなと胸がいっぱいにないながらも「あ、意外といけるじゃん!」と安心したのを覚えている。
そのころ1歳はひたすら宇宙語を話しながらスマホを奪い取ろうとしていた…笑
登園4日目で…
山梨でも降雪は珍しい地域なのですが、まさかの大雪。保育園は道が整備されていない場所を通るため休園。予想外すぎる。
当然外の公園などにいくこともできず、おもちゃもYoutubeもない住み慣れない家に引きこもり。やることが殆どないなか、義母がずっと折り紙やお絵描きの相手をしてくれていたそう。
そして限界、お迎え
毎日夕方のテレビ電話だったのが、朝もかかってきて、昼もかかってくるようになった。大抵ママがなにやっているの~?あと何日~?、とかなんだけど、「帰りたい~会いたいよ~~」とかには敢えて会いたいって言葉はこちらからは使わずに「お互いガンバロー!」とか言っていたら、話しながら涙を出すようになってしまった。
(なんか思い出すだけでもつらい…)
こちらもつられて泣きそうになるのでサクッと終わらせねばと早々と切る。すぐメッセージで義母にどんな様子か、寂しいのを引きずっているか確認すると電話以外はいたって普通ですぐ切り替えて楽しく遊んだりもしてるらしい。
でも徐々に顔見た瞬間に泣くようになってきて、「今すぐ迎えにきて…」と。
元々の予定で自分のスケジュールも組んでしまっていたこともあり、結構厳しかったが調整できる日が1日だけある。でも大量の荷物も二人の幼児もいたら新幹線はきついな…。いろいろパターンを考えてみた。
すぐに義実家と夫と実家に状況を話して、結局わたしの調整がつく日に私の父に仕事を調整してもらい、父の運転で山梨まで車で約1時間半、迎えにいくことにした。
保育園へのお礼も兼ねてお迎えはサプライズで義母ではなく私が行って、そのまま帰京。
雪の休園以来久しぶりの保育園はすごく楽しかったらしく、帰りの車では保育園の話をたくさんしてくれた。
このように結果として当初の予定より4日ほど早めに引き取ることになり、11日間の予定だったホームステイは7日間で終了しました。
帰宅後は、長女は「ママがいなくて寂しかったの…」と時折話し、あまり保育園留学の思い出を積極的に話してはくれませんでした。
それでも、少しずつ実はあんなことがあって~、お友達は~で親切だったなどポロポロ当時の話をしてくれることが増えてきました。
よかったこと
こどもにとってのサードプレイスができる
当時在園の保育園でお友達と揉めることも多かったり、仲間外れにされたかもしれない…と落ち込む娘に、わたしたち親は「(内心3歳でそれは早熟すぎでは?!)いやな思いをしてつらかったら逃げてもいいよ、一緒に遊ぶ必要ないよ」と伝えていた。が、やっぱりこれは大人の理論で、子どもにとっては毎日通う保育園とそこの友達がすべて。大人の都合でなんとか登園拒否せず、楽しく通ってほしいと思うなかで決めた保育園留学。
保育園留学でほかのまったく環境の違う保育園を体験してほかのお友達と遊ぶことで、「自分の居心地のいい場所を探していい」という経験をしてほしかった。結果的に長女は登園拒否も行き渋りもなかったけれど、もしなったとしても保育園というものが苦しいわけではなくて、偶然その保育園のそのクラスが合わなかっただけ、と思ってほしかった。
ほかの選択肢があるというだけで、「こわい!いやだ!つらい!」からちょっと冷静になって「本当にその選択をする必要があるのか?」を考えれるようになっているのを感じる。
「知っている風景」に幅ができる
(これを経験値が増えるというのかな)
上記の子どもにとってのサードプレイスができるとも通じるんだけれど、
今身を置いている世界だけが世界だけじゃないことに気付けるようになって
より外の世界に興味を持ってきていると感じる。
たとえば、在園の保育園には園庭はないけれど、保育園留学した先の保育園はたくさんの木の遊具と虫が採れる盛山?のある息が切れるほど広い園庭があったので、広い園庭も知っている。
在園の保育園の節分は、子どもが怖がらないように壁に貼った鬼のお面にボールをぶつけるストラックアウトアクティビティだけど、保育園留学した先の保育園は近くの山から本当の鬼(40代男性)が真っ赤な服と虎柄パンツをはいて金棒を持って子どもが泣くまで追いかけ続けるサバイバルゲーム?
どちらも経験している。どちらの園も正しくて本当。
テレビ越し、Youtube越しだとどうしても手触りがなくてフィクションだと思ってしまいがちだけれど実際に忘れられない経験をしたことで、田舎の景気や映像を見ても、「~と似ている!」「~では木であんなことしたよ」など鮮明に教えてくれる。
最近はそれぞれの園の違いや良さを認識しながら、どうして違うのか、などの背景まで考えるようになっていたり、できる環境を探そうとしたりしているので、実際身を置いて経験することの大事さを感じている。
姉妹の絆が深まる
生まれたときから妹思いの長女だったが、保育園留学を経て「わたしがしっかりしないと。守らないと。」という思いが一段と強くなったのを感じた。時にはお母さんのように接する4歳、すごく逞しかった。
自分でどうにかできるという自信がつく
4歳で親元を離れて生活した、というのが長女にとって(トラウマもあるかもしれないけれど)大きな自信にはつながっていて、初めて習い事をやってみる・自転車に挑戦してみる・買い物をしてみるなど新しいチャレンジするときに、「あの時の山梨生活に比べたらなんてことない!」と自分を鼓舞しながらチャレンジしている姿を見ると、初めに高い壁を登らせる経験とたいていのことは不安じゃなくなるのかなと思ったりしている。
また今まで人に話しかけることを嫌がったり、自分からリクエストすることが苦手で我慢してしまうタイプだったように思っていたけれど、親元を離れることで誰かに相談するということを学んだように感じた。
義父母が喜んでくれた
どうしても遠いので年に1回、1泊するか一緒にご飯食べるかくらいしか義父母に会わせてあげられていなかった。
「みてね」は使うんだけれども、やっぱりあっという間に成長している感じや手触り感はないみたいで愛情深い義父母にとってはすこし物足りなさもあたみたい。
今回ホームステイでは、ママパパ不在の中で義父母としてもすごく大変だったとは思うけれど結果的に孫たちの起床から就寝まですべてのお世話もしてくれて孫に頼られて、という経験が子のようにお世話をした存在としてより孫を身近に感じてくれているなと思うとやってよかったなと思う。息子がお世話になった保育士さんに縁あって孫もお世話になるのはなかなか感慨深いものがあったらしい。
義父母が喜んでくれた、と書いたけれど子どもたちにとっても山梨の義父母に親無しでお世話してもらう機会はなかったので、今でも嬉しそうに「おばあちゃんが毎日白ご飯をお弁当箱に詰めてくれて、全部食べたら褒めてくれるのうれしかったな~」と事あるごとにいうので多分すごく喜んでいたんだなと思っている。お互い嬉しいのが一番だよね。
夫のふるさとに思い出ができた
地元の保育園にお世話になったことにより、夫のふるさとは「実家のある場所」と同じくらい「保育園で通ったところ」になった。
帰省のたびに寄ってみたり、保育園留学中に見たものをみんなで探しにいったりと新たな意味を持つ場所になって、帰省する楽しみが増えた。
義実家に慣れている
義実家は昔ながらの日本家屋という感じで、お風呂、トイレで廊下に出るのが結構怖いんじゃないかなと思っていたが、ホースステイ期間を経てへっちゃらになっていてその後帰省しても夜に1人でトイレに行けたりと普通の幼児ならこわいんじゃないの…?みたいなのも意外と怖がっていなくて楽。(これからかな…?)
やらなければよかったこと・やればよかったこと
毎日のテレビ電話はあまりよくない
4歳の長女はすぐホームシックになって「ママとテレビ電話したい!」と義母にお願いしていたようで毎日かかってきていた。テレビ電話で子どもの寂しさが紛れるならと電話はいつでも出られるようにしていたけれど、多分それが結果的に会えそうで会えない感覚をつくってしまい、長女が「うちに帰りたい!」と涙が止まらなくなるという現象を作ってしまった。
よく考えたら留学とかも親と連絡を取りすぎると気のゆるみが出てしまってやっぱりホームシックになりやすいから敢えて連絡しないとか自分で決めてたなーと。
連絡を取らなければ今いる土地にもっと集中できたのかなと思うと心を鬼にする必要もあった気がするけれど、当時は心細い娘や子どもたちの世話を24時間しなければいけない義母の負担を少しでも減らしたい一心だった。(今過去に戻れても結局テレビ電話を許してしまいそう…)
もっとおもちゃを事前にそろえればよかった
想定外の休園や長女のメンタルブレイクもあり、慌ててAmazonで暇をつぶすためのおもちゃを大量に送ったのだが、最初はそれぞれお気に入りのぬいぐるみ1つずつしか持っていかせなかった。
平日は毎日園で遊んで週末は義父母とおでかけを計画してもらっていたので疲れると思っていたし、荷物を最小限でという思いだった。
でも、WifiもYoutubeも自分のおもちゃもない義実家での生活は孤独感をさらに強めたのではないかと反省している。もっとおもちゃを置いておいて親と連絡とらなくても楽しめる義実家中の環境づくりもしておくべきだった。
冬よりは夏のほうがいい
特に山村地域だと冬よりも夏のほうが自然のアクティビティが多くて楽しそう。山登りも川遊びもキャンプも飯盒炊飯もやるんだって!うらやましすぎて私が行きたい!←
また娘たちが山村留学した2月は降雪もあり、通い始めてすぐ休園になってしまうというハプニングもあった。結局家にいなくてはいけなくて義母にもすごく負担をかけてしまったしせっかくの期間なにもできずにただ寂しいだけの日も多かった。
過酷か過酷じゃないかでいえば過酷だったのかなと思うところもあり、ハード面の配慮をもっとしておくことで楽しい思い出をつくりやすかったのかなと思ったりする。
寂しい思いに漬け込む
これはパパに対するクレームなんだけれど、家族全員で暮らすようになってから長女がいうことを聞かないときに、時折パパは「もう山梨で暮らしてもらうよ!」と言っていた。ただでさえ不安だったホームステイ、私は苦しみながらも楽しい思い出として取っておいてほしかった。それが懲罰の対象に紐づけられてしまうことで、山梨での生活=悪いことをしたらいかなければならない場所、となってしまうことが本当に嫌で危険だと思った。
それも相まって自分から行きたいとは言えない時期が続いていたのもあると思う。
1年たって思うこと
あの時期でよかった。
1年後、下の子が2歳でイヤイヤ期&圧倒的ママ期が来ている中で、個人の特性もあるんだろうが妹は特に頑固で諦めが悪く譲らない。
ママと離れた寂しさをおねえちゃんや義母、義父にぶつけてとんでもなく困らせてこんなに日数もたなかっただろうなと。笑
人間ははすごいもので不安な記憶は少しずつ和らいでいるのがわかるし、一方で楽しい経験・成し遂げたことだけは強く残っているようでいろいろ書いたけれど心配していないし、やる選択しかなかったけれどやってよかった。
共働き&育児で疲弊している人に届けたいなと思いつつ、自分自身も発信していいのか、子どものためになったのか確信が持てず下書きのままだったが、約1年を経て娘たちにいい変化はあったものの悪い変化(トラウマ)は見られなかったため書ききることに至りました。
今の時代に自分も働きながら子どもにも多くの経験を、とするためには少々手荒な手段も必要なのかなと思いつつ、子どもたちの可能性や遅効性のメリットを信じてチャレンジしてみることが大事だなと思います。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございます!
なにか質問あれば、コメントもらえればコメントか追記で答えます!
余談エピ:その時ママは
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