見出し画像

一周忌を前に 母との日々の棚卸し2

大寝坊。
10時に大崎で待ち合わせだったのに、
起きたら9:55だった!!!
慌てて先方にお詫びの連絡をしつつ、家を飛び出す。

目覚ましは鳴らなかったのか?
止めたのか?
それすら記憶にないほどの爆睡だった。
恐らく、何ヶ月ぶりの熟睡。爆睡。

夕べ寝る前に、友人に見せた写真がこれ。

母の残したものの棚卸し完了っていうような話を友人とした。
何が棚卸しだったかっていうと、このバッグの口金。
恐らく母がこういう口金を使ってバッグを作ろうとしたのは、
人生でこれ一回だろうと思うのだけれど、
面倒になったのかなんなのか、何十年も放置されていた。
それをまた、私に、「もったいないから使ってね」と
くれたのだけれど……
まぁ、くれたっていえば聞こえはいいけれど、
これもやっぱり押しつけですよね……と娘は思うわけで。

親が亡くなると、子どもは有形無形にいろいろなものを引き継ぐ。
いいものばかりが残るならいいけれど、もちろん、そうでもない。
人間関係にしても、ものにしても、自分の日常だったら絶対に
手を出さないものがあれこれ降りかかってくる。
それを、要りませんという選択肢は、
残念ながら、子どもにはほとんどない。
特に、長女は分が悪い……と思うのは、私の被害妄想か。

この1年間母から降りかかってきた「どうしたらいいか見当もつかないもの」
に囲まれながら、静かに私の中に怒りみたいなものがたまっていった。
その最たるものが、なんでこんなもの買ったの?と思わずにはいられない
この口金だった。
捨てればよかったのに。
母にそう言ってやりたい。
そんな使えないもの、私に押しつけるなんて、と。

一方で、さっさとそれを捨ててしまうのは、
それはそれで、なんとなく、自分がものすごく薄情だということを
自分で認めるようなうしろめたさがある。
なんとなく、ほんとうはいい人のふりをしていたいのに、
正直にはい、私薄情なんです、と認める敗北感みたいなもの。

もちろん、友人の多くが苦しむほど母は着物を残したわけでもないし
まわりに比べれば我が家の形見の整理なんてたかがしれている。
人間関係といったって、これもまぁ、たかがしれてはいる。
でも、やっぱり、有象無象の「どうしたらいいか見当もつかないものたち」
を残していってしまった母に、少なからず怒りを感じていたのだと思う。

ものを整理しながら、どうしたらいいか見当もつかなかったものが
使えるかどうかはともかく、私流のアレンジのなかにおさまっていくのを
見ることは、私の中で必要な母との関係の棚卸しだった。

どうしたらいいか、悩み続けていた口金に、
教会で捨てることものの中から拾い出した帯をぬいつけてみた。
素晴らしいとも言えないけど、まぁ、「作ったのよ」と
笑いとりながら持ち歩ける程度にはなったような……。
総絹だしね、一応。
母の残していった負の遺産を、自分の中に取り込んで消化する。
次に、好きなものを作るために、しょうがないから目の前にあるものを
まず片づける。
それに、一年かかった。
けれど、終ったな〜。そう思って晴れやかな気持ちでベッドにもぐりこんだ
結果が、本日の大寝坊。

Sさん、大遅刻をお許しください。
待っててくださってありがとうございました。


得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)