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好かれる老人 嫌われる老人
年末におじいちゃん1の様子を見に行った。
運が悪ければ、1週間で逝ってしまうかも……と思われたおじいちゃん。
奇跡のV字回復。
介護のリーダーのミウラさんと相談して、
食べられそうなスープやアイスクリム、ゼリーなどを買い込んでの
陣中見舞い。
脇に座って様子を見ていると、看護師さんが来てくれた。
サコウさんが来てるってきいたから、状況報告までと思って、と。
最近の様子、安定している数字の数々。
自分から座りたいといっているから、体調は回復基調……など。
お礼を言って、ちょっとスタッフに差し入れを渡した。
そして、その足で、実父夫のホームに向かった。
途中で今から行きますと連絡を入れ、
何か持って行くものはありますか?
と確認した。
父の介護をしてくださっている人が、電話口で
「足が冷えるから靴下があるといいんですけど」
という。
「私達でクリスマスプレゼントに買ったんですけど、
はいてくれないんで。
たぶんキツくて履き心地がよくないんだとは思うんですけど。」
ちょっとした食べるものとか、足りないものをと想定して
電話をしたので、XLでもきついからもっと大きい靴下をという
リクエストに答えにつまってしまった。
彼女に何か買うものはありますか、と聞くと、
すぐには手に入らないものをいわれる。
そして、こちらでも工夫しているけど、どれもイヤだといわれて
困っている……といった話が出てくる。
今回のXLでもNGの靴下というのも同じ。
後は飴をお忘れなく、といわれて、飴だけ買って施設に向かう。
施設にいくと、箪笥の脇に、ビニールに入ったボロボロの衣類が。
一方で、先月送った下着は見当たらない。
聞くと毎日汚すから洗濯中、とのこと。
ボロボロの衣類は、本人が着たいって言うんでいいと思います、
という説明。
なんというのか、言葉の端々から、いろいろいいたいことがあるんだろう
なぁというのが伝わってくる。
あれが足りない、これが足りない、でも捨てさせてくれないから
もう、いいんじゃないですか、ボロボロの衣類でも。
という話にしても、
足りないものを買いましょうか、というと
ご実家にあるでしょうから、弟さんが持ってきてくれればいいのに
持ってきてくれないんですよね。でももったいないから、
もう少し様子見るからいいです、
という話にしても。
「どうせ、こっちがいろいろやってものってもこないし
喜ばないし、いうこともきかないから、いいんじゃない? 放っておけば」
という思いがそこはかとなく伝わってくる。
そして、残念ながら、私もその思いを共有している。
父のところにくるより、おじいちゃんの所に行く方が
私もよっぽどいきがいがあるのだ。
先だって、私がいくといったら、珍しく
父が玄関で待っていたことがあった。
ケアマネさんが
「あら、珍しい。やっぱりお嬢さんが来るとうれしいのかしら」
と父に声をかけてくれたのだけれど、
父は私が目当ての飴を持っていないとわかったら、
黙って部屋に引き返してしまった。
入館手続きをしている私に、申し訳なさそうなケアマネさん。
恐らく、父は誰に対しても全く配慮がないのだろう。
よかれと思ってやっても、相手が働きかけたこと自体に興味がない。
そうなると、いくら仕事でも、スタッフさんもやる気はなくなるよなぁ。
おじいちゃん1のホームに流れる温かい雰囲気と
不満がこちらにも伝わってくる父の周りの雰囲気。
私の周りはそれを比べるのはよくない、と言う。
でも、あまりの差に、何が違うんだろう、と思わずにはいられない。
施設運営管理の問題もあるかもしれない。
ケアマネさんとワーカーさんたちの連絡は
おじいちゃんの所の方が圧倒的に緊密だ。
家族への連絡も、頻度が全く違う。
それは、確かに非常に大きい、とは思う。
けれども、同時に、あまりに自己中な老人は、やっぱり難しいのかな
とも思う。
おじいちゃん1だって、歯に衣きせぬどころじゃなくて、
口を塞ぎたくなることはあるのだけれど、
彼は基本的に、人に関わろうという気持ちがすごく強い。
それは、おじいちゃんがずっと独身だったからでは、と
いう人もいる。
妻という付き従い、ケアする人がいない状況だったから、
まわりに関わっていかざるを得なかったのだろうと。
翻って父は、母という召使いがいた。
飯、風呂、寝るで全てが済んだ人だった。
でも、それが、自己中に拍車をかけたとしたら、
一体結婚てなんなんだろうと思わずにいられない。
帰り際、おじいちゃん1に
又来るねと手を振ったら、笑顔で手を少しあげてくれた。
一方の父は、
じゃぁ、帰るね
と私が言った瞬間、車椅子をテレビの方に向けた。
手をふることどころか振り返ることもない。
この差だよなぁ、と思う。
職場ではなんとかやってきても、基本的にまわりに関心がない。
特に、自分の身の回りのことをしている人に全く関心がない人。
嫌われるよねぇ、そりゃぁ。
自分の周りにいてくれる人への愛情って
どうやったら育つんだろうなぁ、と思わずにいられない。
どこかで、人間はできることをやってあげようする傾向があるけれど
相手ができるようになるまでじっと待つことが大事
という話を読んだけれど、
ほんとに、なんでもやってあげるのが愛情だっていうのは、
とんでもない勘違いだ。
そうすることで、相手がやってくれるのが当然だと思い、
感謝の気持ちがなくなる。
やってもらってらえなければ不満に思っても、
やってもらうことに何を感じることもない。
エレベーターは動くのが当たり前で、止まっていると不便だと
思うけれど、じゃぁ、日頃エレベーターが動いていると
感謝するかというと、全くしない、というのに似ているかも。
世話を焼くことはいいことのようで、
実は害の方が多かったんじゃないかしらね、
と、亡くなった母に言いたい気持ち。
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