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思い出のかけら〜葬儀で知るいくつもの顔
ジーンからメールが来た。
おじいちゃん1の訃報を聞いた、と。
お悔やみの後に、
ところで、ちゃんとおじいちゃんの元の職場には連絡したか、とあった。
彼にとってはとても大切な場所だったから、忘れずに連絡しろ、と。
したよ、と思ったけれど、
だいじょうぶよ、万全の体制であれこれやっているから
ご心配なく、と返信した。
おじいちゃんの火葬の時に来た人の中にも、
お墓はどうしたのか、とか、○○には連絡したのか、とか、
あれこれ聞いてくる人がいた。
全部、ちゃんとやっているからだいじょうぶです、
と言ったけれど、信用されなかったらしく、
どこに埋葬するのか、お金はどうしたのか、みたいな話になった。
自分は彼の子どもみたいなものだと自負しておられて、
だからあれこれ心配してくださった……らしい。
火葬については、入れる人数も限られている。
内輪で済ませるために、SNSなどには火葬の詳細は載せないでほしいという
文言とともにご案内をした。
けれど、おじいちゃんへの思いや感じ方は様々なので、
おじいちゃんの死を周囲と共有したいという人からは、
哀しみを分かちあいたいんだから、自分のSNSに何を書くもこちらの自由、
という連絡が来たりした。
関わり方も、亡くなった人への思いも十人十色だなと改めて思う。
あそこに連絡したか、ここに連絡したか、この手続きは済んだか……など
喪主がいればそんな失礼なこと聞きもしないのだろうけれど、
なまじ、喪主がいないがために、つい、
余計な心配も頭をもたげるのだろう。
様々な人の様々な思いに触れる、ある意味でしんどい1週間だった。
お葬式打ちあわせのときに、キョースケさんが
卒業生用の会館で全て済ませればいいと思っていたけれど、
そうか、彼には教会という世界もあったんだね、
大学関係だけではすまないんだね、と言っていた。
人が亡くなってみると、いろいろなところから関係者が出てきて、
自分が知っているのは、ごく一面だったんだなと納得する
というのは、おじいちゃんに限ったことではないんだろう。
娘みたいな関係、息子みたいな関係だったという方々にすれば、
こんなに彼が元学生達に愛されてサポートされていたこと自体
ビックリかもしれない。
人にはそれぞれ知らない顔がある。
亡くなった翌日、彼の部屋を整理していたら、
ホーム内で弔問に来てくださった方が二人。
彼のケアをしてくださっていたキタさんと歯医者さん。
それぞれ、教え子や英語の世界で生きていた時とは
違う顔のおじいちゃんを知っている。
彼らの思い出話を聞き、私の知っていることをちょっと話した。
そんな思い出が交差する場がお葬式なんだなぁ、と思った。
記念礼拝のご案内を出しますので、
お時間許せばいらしてくださいね、と言うと
お二人とも「ぜひ」と。
施設の相談員のヒラモトさんにも連絡したら、みんなに伝えます!という
有り難い返事が返ってきた。
頭の切れる大学教授だったおじいちゃんの一面と
ガンコでおもしろいおじいちゃんの一面と
いろんな人が見る彼の顔をモザイクみたいに貼り合わせて
やっと、本人にに近づくんだろうなあ。
人って生きている間、いろんな出会いがあって
いろんな関わりがあるもんね。
最後に、それぞれが知っているモザイクのかけらを持ち寄って
彼の全体象に気づき、その一部を担えたことに感謝して
送り出す。
そんなものかも知れないね、お葬式って。
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