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バランシンの『ヴァイオリン・コンチェルト』は、古典バレエの“お約束”を落とし込んだ、 シャープでスイートなレオタード・バレエ

 もしもタイムスリップすることができるのなら、わたしは迷うことなく1972年6月18日(日)夜、ニューヨーク州立劇場(2008年にディヴィッド・H・コーク・シアターと改称)に駆けつけ、ジョージ・バランシン(1904生〜1983没)がニューヨーク・シティ・バレエで振り付けた『ストラヴィンスキー・ヴァイオリン・コンチェルト』の世界初演をこの目で見届ける。ステージ全体を見渡すべく、1階席P列かQ列、中央かやや上手よりの座席に陣取る。

 この日の公演は、前年に他界した作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882〜1971)の音楽を用いた新旧作品を上演する〈ストラヴィンスキー・フェスティバル〉のオープニング・ガラとして行われた。一週間にわたるフェスティバルは、バレエ『火の鳥』と共に始まったストラヴィンスキーの輝かしい業績を回顧しただけではない。バランシンはこのフェスティバルのために、ストラヴィンスキー=バランシン・バレエの最高峰とわたしが目す『ストラヴィンスキー・ヴァイオリン・コンチェルト』を含む9作もの新作を振り付け、『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』『デュオ・コンセルタント』という恒久的なレパートリーをも生み出した。キャリア最終章に入りつつあったバランシンは、振付家としてさらなる高みに立ったのである。

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