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振付家バランシンが最後に見た舞台は・・・

 振付家ジョージ・バランシンは、1948年に朋友リンカン・カースティンと共に創設したニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)を後半生の活動拠点とし、最晩年まで創作を続けました。

 常駐するニューヨーク州立劇場(現・デヴィッド・H・コーク劇場)でのシーズン中には下手の袖で公演を見守り、いわゆる大物振付家としては珍しく、日々のカンパニー・クラスを自ら教えることを慣わしとしていました。ダンサーやスタッフ達は、いつもバランシンの気配を感じることができたようです。

 回数こそ多くはありませんでしたが、バランシンは観客の前に姿を現すこともあり、新作の初演公演時にささっと挨拶に出たり、フェスティバルなどの企画公演の初日などには開演前にウォッカを注いだグラスを手にしてちょっとしたスピーチをして観客と盃を交わすこともありました。

 では、バランシンが最後にカーテンコールに応えたのはいつのことだったのでしょうか。それは1982年7月4日、NYCBの州立劇場での定例スプリング・シーズンの最終日、最後の演目『テーマとヴァリエーション』の終了後です。その際に撮影された写真が、NYCBの1983年秋シーズンのプログラム表紙に掲載されています。主役男性はひときわ脚の長いショーン・レイヴァリー(Sean Lavery 1956生〜2018没)。女性主役の姿はありませんが、その頃の配役から察するところ、メリル・アシュレー(Merrill Ashley)の可能性大です。

 バランシンが体調を崩していたことにバレエ関係者は心を痛めていましたから、カーテンの前に現れた彼の姿に安堵した観客も少なくなかったことでしょう。けれどもこの写真は、バレエファンの涙を誘わずにはおきません。バランシンが右手でフロントカーテンを掴んでいるのです。

プログラム表紙写真:George Balanchine, closing night of Spring Season, New York State Theater, July 4, 1982.  (@photo by Steven Caras)

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 当時、脳神経細胞の機能が阻害されるクロイツフェルト・ヤコブ病に罹患していた彼は平衡感覚に異常をきたし、転倒することがあったそうです。病名は他界後に判明しましたが、仮に生前に判明していたとしても治療法はなかった、と主治医がインタビューで無念を語っていました。

 スプリング・シーズンを終えた後、体調の優れないバランシンは、ほどなくしてニューヨークの保養地サラトガで始まったサマーシーズンには参加せず、ニューヨーク市内のルーズヴェルト病院に入院、そのまま回復することなく、NYCBに戻ることなく、NYCBの公演を目にすることなく、1983年4月30日、79年の生涯を閉じました。

 1982年7月4日の『テーマとヴァリエーション』は、バランシンが最後に目にした舞台となったのでした。

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