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幸福への道① レスター・レヴェンソン
1966年6月7日
(4) Lester Levenson - Your Path to Happiness - part 1 - YouTube
すべての行動にわたって及ぶ2つの法則がある。言っておくが、この2つの法則を用いるなら、それはあなたを完全な悟りへと導くだろう。
ひとつめの法則は、すべての生き物に対して無害な態度でいること。そしてふたつめの法則は、互恵主義、「お互いさま」の法則である。もし両者の間で合意があれば、どんな振る舞いも正しい。もし一方が同意しないのなら、もう一方は相手にそれを強制してはならない。例えば私が映画に行きたいとする。「カモン、映画に行こう」と私は言うが、あなたは「行きたくない」と言う。「いやいや、行こうよ、君は行くべきなんだ!」これは間違った態度だ。もしあなたが行きたくないのなら、私はあなたの意見を変えようとすべきではない。お互いが同意した時のみ、共にいられるようになる。
この道のりを歩む上で成長のために使えない行為はひとつもない。
そしてもし完全な覚醒に至りたいならば、これはフルタイムの仕事でなくてはならない。週末だけだったり、朝か晩の1時間だけだったりのことであってはならない。常にこの態度であり続けるのだ。
相対的に言って、ある課題を毎日毎分こなさなければ、ほんの少しの成長しか見込めない。
幸せでいられればいられるほど、神の中に住まうことが出来るようになる。神の中に、自己の中に。(小我ではなく、大我である太文字の自己)
私たちは幸福を自分以外の誰かや物に、誤って紐づけている。
つまり自分以外の誰かが欲求を満たしてくれる時、私たちは考えるのをやめるのだ。考えなくなると、私たちは気分が良い。思考しない時、私たちは自己となっている。
いつの日か、私たち全員が気づくようになる。存在する唯一の喜びは、私たち自身のこの自己、ビーイングネスであることを。それに気づくようになるまでは、それを他の人々や物に結びつけている。
しかし唯一の喜びは、まさに私たち自身の自己にあると気づいた時、喜びの対極である苦しみは単にエゴであると知るだろう。より具体的には、エゴの不足感であると。
私たちは物事を欲求し、欲しがる。それが手に入れられないと、不幸に感じる。だからすべての苦しみの源はエゴにあり、すべての幸福の源は自己にある。
これを24時間、成長のために用いるのだ。
前にも言ったように、唯一の成長は今すでにそうである無限の存在、ビーイングネスであることだ。私たちは今までもそうであったし、常にそうであり、これからもずっとそうあり続ける。それは普遍であり完璧なのだ。
だから、唯一の成長と言ったが、私たちは成長して自己になるのではない。すでに自己であるからだ。成長とは、エゴを卒業することだ。唯一の成長とは、エゴを手放すことなのだ。
だから常に、幸せと苦しみについてのこのコンセプトを用いなさい。
不幸を感じるたびに、エゴに源があるのだと知っていれば、その惨めな不幸の感覚のもとを探し出そうとするだろう。そしてそれを突き止めたら、自動的に手放しが起こるはずなのだ。
苦しみが手放せない唯一の理由は、その原因を見つめないからだ。苦しみの原因を見つめることができれば手放せる。それは自然と起こるのだ。
だから、あらゆる苦しみの源はエゴにあるのだというコンセプトを常に持っていれば、これを成長のメソッドとして使うことができる。
不幸せに感じるたびに、それを見つめるのだ。それを手放したいのだという意図を持って。
今はそれを見つめるのは容易ではないだろう。それを見る方法を学ばなければならない。不幸を感じた時、私たちは内側に目を向けて、あらゆる苦しみの原因である、達成されていない欲求を見つけ出さなければならない。
私たちには欲望がある。それは自己中心的だ。不幸とは、何かを欲して、それが手に入れられないことだ。
だから毎回、不幸せだと感じるたびに、じっとそこに留まって、それを見つめなさい。その源はエゴであることを見つめなさい。その原因、達成されていない欲求を見つめることができたら、手放しは自動的に起こる。そうすることで、エゴが少し明け渡される。これを続けなさい。そうすれば完全な覚醒に至るだろう。すべてのエゴを排除することができるのだ。
毎日そうしなさい。試してみれば、急速に成長できるのがわかるだろう。
苦しい時は、静かにして内側を見つめ、その苦しみの奥にある欲求を探しなさい。それを見ることができたら、おのずとそれは離れていく。
欲求にはまた別の側面がある。それは「嫌悪」だ。私たちが嫌うものだ。私たちには欲求と、嫌悪がある。嫌悪とは「それを持ちたくない」という欲求なのだ。だから嫌悪でさえ欲求なのだ。嫌悪とは「自分のものにしたくないという欲求」のことである。
これまで述べてきたことを要約すると、素速い成長のための手段であり完全な覚醒のための手段は、ただ自分の喜びと悲しみを見つめることだいうことである。
悲しみを見つめ、その原因となっているエゴを見つけ出し、エゴの欲求とそれを達成できない不足感を突きとめるのだ。それを見つめさえすれば、それは勝手に離れていく。そうすることで、エゴが少し無くなっていく。続けなさい。やがて最終的に、エゴはすっかり消えているだろう。
さて、もう一方の側からのアプローチも可能である。つまり幸せの側からのアプローチだ。自分にとっての幸福をよくよく調べてみなさい。大我である自己であるとき、すなわち神と共にあるとき、あなたはより幸せなのだ。
幸せとは本来の私であることだとわかれば、自然と、ただそのままであろうとするだろう。そのようである時間が増えるだろう。
だから幸せの側からも見つめるようにしなさい。それが何であるかを見つけなさい。それは単純に、私たち自身のビーイングネスであることを知りなさい。それがわかれば、私たちはただ本来の自分であろうとするだろう。ますますどんどん、そうあるだろう。
人生における大きなこの2つ、喜びと悲しみは、日々成長の糧として利用することができる。
さあ、今このことを知ったのだから、もしこれを利用しないというならば、それは無限の喜びよりも、この世の中の苦しみのほうを選んでいるということになる。苦しみに固執するのは、単なる習慣に過ぎない。
もう一度繰り返そう。この道のりはフルタイムの仕事でなくてはならない。パートタイムであってはならない。覚醒を期待するなら、1日24時間取り組まなくてはならない。生活がどれだけ忙しいかには関係ない。常に相応しい態度、探求者の態度を持っていれば、自ら陥ったこの幽閉状態から脱出する道へと導かれていく。1日24時間、ここには睡眠中も含まれる。
私たちは日中の思考を眠りの中にも持ち込むのだ。思考の流れは、眠りに落ちたときにもそのまま続いていく。だから起きている間にこの道のりに集中していれば、眠っている間にも成長し続けることができるのだ。我々の見る夢も変わるだろう。恐ろしい夢を見ていたのが、良い夢を見るようになるだろう。
睡眠中の夢の中で、高次の聖者や賢者に会えるようにさえなるだろう。その状態のほうが、目覚めている時よりも簡単に彼らから教示を受けることができるのだ。そのように、目が覚めている間に常に成長できるよう十分な努力をしていれば、寝ている間にさえ成長は続いていく。だから24時間成長し続けることは可能なのだ。そうでなくてはならない。覚醒を求めるなら、そうでなくてはならない。
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