これまでで最も興奮した移籍TOP3を振り返りたい【ガンバ大阪】
皆さんこんにちは。4年ぶりのnote執筆です。前回の投稿から今日までの間に、2つのオリンピックと1つのW杯が開催されたと思うと、時の流れの速さを実感しますね。己の飽き性ぶりからは目を背けていますので、「サボってるだけやん」という正論は受け付けません。
この4年の間、皆様はどうお過ごしでしたか?私は大学同期の卒業を見送ったり、留年したり、就活したり、留年したりしていました。
そしてこの度、1年半勤めた会社を去り、11/1付で新天地での業務をスタートさせることになります。
転職という大きな転機を迎えたことをきっかけに何か書こうとテーマを模索していた折「転職ってサッカー選手で言うところの移籍だし、それに絡めて何か書けそうだな」と、こじつけに近い妙案が思い浮かんだ次第です。そんな訳で、今回のテーマはこちら。
約20年間ガンバ大阪を応援しているサポが選ぶ、最も興奮した移籍TOP3
サポーターにとって、選手の移籍話は常に関心の的です。とりわけ四六時中、欲しい選手の獲得に思いを馳せている煩悩まみれサポーターの僕としては、実際に移籍が行われるシーズンオフはもちろん、シーズンの最中でも「あのチームの○○欲しいなあ…」などという雑念に駆られるのもしばしば。
そんな雑念多き生臭坊主サポかつ移籍経験者(?)の僕が選ぶ、最も興奮した移籍を決めようじゃないかって話です。ただただ自分が語りたいだけなので、読者の皆様が得られるものは皆無ですが、歯医者の待ち時間など暇で暇でしょうがない時にでも読んでいってください。
3位:東口順昭(2014年)
敢えて言葉を選ばずに表現するが、2006年からガンバ大阪を応援するようになって以降、常に物足りなさを感じていたのがGKだった。
当時は今以上に各ポジションに代表クラスの選手が揃っていたチームだっただけに、特にプレーの質の部分で、GKのタレント不足ぶりが際立っていた。
2013年にクラブ初となるJ2を戦い、1年でのJ1復帰という結果を残したガンバ大阪は、2年ぶりとなるJ1での戦いに臨むことになった。
昇格1年目からタイトル獲得を目指すにあたって、長年ボトルネックとなっていたGKの補強はいよいよ最重要事項になった。
加えて、この年は一線級のGK複数人に移籍の噂が挙がっており、実際に西川周作(広島→浦和)、林卓斗(仙台→広島)と、日本代表クラスのGKの移籍が相次ぐ珍しい年だった。
ガンバ大阪もその流れに乗り遅れることなく、アルビレックス新潟から東口順昭の獲得に成功。当時は度重なった膝の大怪我の影響もあって日の丸から遠ざかっていたものの、代表レベルの実力を持つGKが遂にスカッドに加わることになった。筆者自身、長年の宿願が叶った気分になったのを昨日のことのように覚えている。
その後の活躍は言わずもがな。入団会見で「日本一のGKになるために来た」と大言した実力派GKは、加入初年度から守護神として君臨し、チームを国内三冠に導く大活躍を見せた。その後も、唯一の懸念であった膝の古傷の再発もなく、ガンバ大阪の正守護神として、数え切れないほどの記憶に残るスーパーセーブを連発してきた。
今ではベテランから下部組織の若手に至るまで多くのタレントが揃い、Jリーグ屈指のGK大国となったガンバ大阪だが、彼ら若き守護神たちの模範として追うべき背中を見せているのは、この背番号1に他ならない。
2位:今野泰幸(2012年)
今野の話をするには、当時のクラブ状況を語らねばなるまい。
2002年から指揮を執る西野朗監督の元、長い黄金期を謳歌していたガンバ大阪は「4点取られたら5点取り返す」といういてまえマインドで、ACL含む5つのタイトルを獲得。見るもの全てを魅了する超攻撃フットボールを展開し、名実ともに国内屈指の強豪クラブの地位を確立していた。
一方で、最大の栄誉であるリーグ優勝は05年の1度のみ。2002〜2011年の10年間のうち、3位以上を逃した回数は僅か2回と、コンスタントに結果を残している割には寂しい数字に終わっていた。
それもそのはず。当時のガンバが喫していた、およそ上位常連チームとは思えない安い失点の数々は、長期的な強さが求められるリーグ戦において致命的な弱点でしかなかった。
毎年のようにリーグ最多得点を挙げる攻撃力を「陽」とするならば、毎年のように降格チーム並みの失点数を記録する守備力は、当時のガンバの「陰」の部分だった。
そして西野政権ラストイヤーとなった2011年、首位とわずか勝ち点2差の3位に終わり、またもや涙を飲むことに。第一次黄金期を築いた稀代の名将と別れを告げ、新たな黄金期へ向けて再スタートを切ることになったのが、2012年だった。
超攻撃の長所を残しつつ、守備も整備することで攻守に隙のないチームへ変貌を遂げようと目論む新生ガンバの象徴として迎えられたのが、当時日本代表で不動のCBに君臨していた今野泰幸だった。
これまで不安材料でしかなかった守備陣に、国内屈指のビッグネームが加入したことで、新体制への期待感は最高潮に。FC東京にいた当時から、クラブの垣根を越えて好きな選手だったのも相まって、喜びもひとしおだったのをよく覚えている。
さて、前年あと一歩で優勝を逃したチームの弱点を、今野の獲得で補った新生ガンバ大阪。初年度の結果や如何に…!
17位でクラブ史上初のJ2降格。
もう一度言う、クラブ史上初のJ2降格。正直この出来事について詳細を語り始めたら、それだけでnote1本分になるので割愛するが、「リーグ最多得点&得失点差プラスで降格」とかいう、世界でも類を見ない珍事で他サポを爆笑させながらJ2に転がり落ちていった。この出来事で私は「サッカーとは、攻撃と守備の足し算にあらず」と学びましたよ。
ただし、得てして地獄の後には天国が待っているもので。J2を戦った2013年以降、今野はCBからポジションを1列上げて、遠藤保仁と共にボランチコンビを形成。そのまま日本代表で起用されても何ら違和感のない豪華な中盤で、手始めにJ2を荒らし、J1復帰初年度となる2014年では、国内三大タイトル(J1リーグ戦、リーグ杯、天皇杯)全てを制する3冠を達成。
「攻守にバランスの取れたチームを構築し、リーグタイトルを奪還する」という今野獲得当時の目論見は、降格の屈辱を経て2年越しに成就した。
1位:昌子源(2020年)
2020年1月、鹿島アントラーズとの奈良竜樹(現アビスパ福岡)の争奪戦に敗れ、補強ポイントであるCBの獲得が暗礁に乗り上げていた中、衝撃的な一報がガンバサポーターの元に届いた。
「G大阪、昌子源を完全移籍で獲得へ」
正直、第一報が届いた時点では全く信じられず、リアクションは「昌子が来るわけがない、飛ばし記事だろ」でしかなかった。
当時、仏1部トゥールーズに所属していた昌子が足首の怪我に悩まされており、国内復帰を含めて移籍先を模索している情報自体は耳に入っていた。
ただ、負傷離脱する前は主力として活躍していた上、2018年ロシアW杯での活躍も記憶に新しい。日本代表の次期DFリーダー筆頭格だった昌子には、恐らく他の海外クラブからもオファーは来ているだろうし、仮に国内に復帰するとしても、行き先は古巣の鹿島アントラーズ一択のはず。Jrユース時代に在籍していた程度の縁しかないガンバ大阪に来る訳がない。
当時は、昌子が来ない理由を並べて獲得失敗のダメージを少しでも和らげようとしていた。そんな無駄な努力を嘲笑うかのように、正式オファーを提出してから程なくして、本格的な契約交渉がスタート。
情報を追えば追うほど昌子獲得の信ぴょう性は増すばかりで、気づけば筆者の心情は「来る訳ないやろ」から「昌子来るやん」を通り越し、「あかん優勝してまう」へと、一足飛びどころじゃないトンデモ飛躍をしており、確定報道を今か今かと待ち望んでいた。
そして、最初の獲得報道が出てから5日足らず。驚くほどスムーズに「ガンバ大阪・昌子源」は誕生した。
それにしても、なぜ昌子は、古巣の鹿島ではなくガンバへ移籍することになったのか?ここで冒頭の一文を思い出してほしい。
そう、皮肉にも、当の鹿島にCBの争奪戦で敗れたことで、昌子の獲得チャンスが生まれたのだ。
仮に奈良竜樹の争奪戦をガンバが制していたら、実にスムーズに鹿島へ復帰していたに違いない。この経緯もあり、当時は「奈良から牡丹餅」とか言われていた。
ガンバでは2022年まで3シーズンプレー。「ラスボス感」溢れるディフェンスはところどころで見受けられたものの、怪我の影響やチームの不調も相まって、期待していたほどのインパクトは残せなかった。
ただ、昌子が在籍していた2020〜2022年はコロナ禍真っ只中で、声出し応援が制限されていた時期と丸被りしていたこともあり、サポーターとの連帯感が生まれる前に去ってしまった感は否めない。
サポーターが昌子に、昌子がサポーターに期待していたであろう姿を見せることが叶わないまま、両者は再び別の道を歩むことになった。
2023年に鹿島に復帰した際は思うように結果が出せなかったものの、今季加入した町田では主将として奮戦しているらしい。
あとがき
改めて見ると、守備陣しかいない…。どんだけ自分がガンバのザル守備に頭を抱えていたのか改めて実感しました。
ただ、近年は攻撃の方が頭抱えたくなる状況で、人生ままなりませんね。
本当は他にも語りたい移籍はあるんですよ。移籍会見で死んだ魚の目をしていた元世代別ブラジル代表の10番とか、ガンバお得意のストーキングが成就した韓国代表ストライカーとか、愛する至宝の帰還とか。
ただ、疲れたので今回はこのくらいで勘弁してやります。
ここまで読んでる酔狂な人がどれだけいるかは知りませんが、もしいるならばありがとうございました。読んでない人は読んでください。
ではまた。