在宅勤務と寂しいサラリーパーソン
昨日は、なかなか寝れなかった。
瞼から涙という涙が出てきて、ああ、このまま私は動けなくなって
明るく動いてた自分を失ってしまうんだって思った。
世界で影響を及ぼしている流行りのアレ、によって私は在宅勤務になった。
4月は会社の期変わりということもあり、
組織編成も走り自分の役割は変わらないものの
一から説明しなきゃいけない「誰か」が増えて、
「世直し人」や「本質を指摘してくれる人」ができて、呼吸がしにくい。
できないこと貯金が自分の中でたまっていく。
できたことなんて数える必要がこれまでなかったのに、
数えなきゃ自分をもう保てないんだな、って思った。
ただ、その事実に気づいてしまったことすら苦しい。
それに気づいて昨晩は、おんおんと鳴き、
パートナーにLINEでSOSを出して日付をまたぎながら
電話で話を聞いてもらった。
翌日直属の上長にいうと、彼も抱えていて、
彼と一緒にさらに上のレイヤーの方を誘って
その日オンライン飲みをしたらその人もフラストレーションを抱えていた。
分かち合う、しか現時点解決策はないというのは
多少のがっかりポイントではあるけれど、
今マッチョな思想を持っても、どこでそれを披露するんだ?と思う。
ボディービルの大会だってきっと延期なんだから、
精神性マッチョの大会だって延期でいいだろう。
みんな、働くな。
否、もっとできる、と思って働こうとするな。
人のせいにしたくない、器が小さいと思う人は、ちゃんと時流のせいにしよう。
仕事の面で自分の過不足なんて探すな。
他人との比較なんてできやしない。
自分の未熟さ、足りなさを憂いて詰め込もうとするな。
これまで世の中が健やかだったときならそんなこと気にしなかっただろう。
起きて、自宅でご飯を用意して、食べてパソコンに向かう。
それだけでも毎日自分は時間を費やしている。
通勤時間が浮いた分の時間の有効活用も、
満員電車での罹患に対するリスクに対するいらだちが減ったという心理的感覚もいったん置いておこう。
それだけでもウイルスの蔓延を防いでいるんだ。
「自宅にいるだけで何もしないことで英雄になれるんだ」というが、
その認定を誰がやってくれるんだ?
自分しかいない。
毎日、自分を抱きしめよう。
べき論なんてかなぐり捨てて、毎日、自分を抱きしめよう。
抱きしめきれないときがたくさんあるだろうからそのときは都度、
自分をほめてくれそうな人をZoomで呼び込む。
そんな人をセレクトして声をかけた自分を、毎日、抱きしめよう。
腕がばかになったとき、きっと世界は落ち着く。