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自分を大切にするということはどういうこと?
生きていく上で、自分を大切にするということは大事なことだと思います。
他人を大切にするには自分を大切にしてあげないと本当に大切にはできない…と言われます。
でも、それってどういうことなのでしょうか?
いやあ、言葉にするのが難しいです。
でもちょっと書いてみたいなと思います。
昔、私は自分よりも人が大切。人には思いやりもって接する、と言うことを考えていました。
なので、友達の嫌がることはしない。つまり逆らうことはあまりしないでいました。
だから、消極的になってしまうし、我慢することが多かったです。
でも自分を主張するのはわがままや自己中心的につながると思っていたので、それで良いと思っていました。
気がつくと、誰からでも好かれる良い人…いえ、個性のない人になっていたように思います。
それで満足していればまだ良かったのですが、そんな自分に満足していないし、そんなんじゃダメだと思っていたのです。
人を大切にしたいと思っていたら、自分がダメになってしまった。
これは、どういうことなのでしょうか?
人に嫌な思いをさせるくらいなら自分が嫌な思いをした方がいい。
いや、今思えば私の場合は違っていたような気がします。
人から言われたくない。
「それは違う」とか、「おかしい」
と言われると傷つく。
そう、自分が傷つきたくないから、自分が傷つくのが辛いからそれだったら、我慢した方が良い。
はっきりそう認識していた訳ではないけれど、その方が楽だから選んでいたと思うのです。
でもそのことに納得していたのでしょうか?
いえ、何でもかんでも素直に言われた通りという訳ではなかったです。
自分の感情が動くことだってあるのです。
こっちの方がいいなあ。と自分では思っていても、自分を守るために言わないで従う。
そうだったと思います。
なので自分が出せなくて…
自分はなんて弱いんだろう、と思います。
でも、出せないから我慢するしかなくて。
我慢しているとやはりストレスが溜まります。
自己主張した方が良いと思いながらできない自分が嫌になります。
思いきって、自分の意見を言ったこともありましたが、結局言い負かされてしまって。
やっぱり自分は言わない方が良い。というようになってきたのだと思います。
自分のことが好きになりたいのになれない。
そんな時間をかなり長く過ごしていました。
そんな自分がちょっとずつ変わってきました。
それは、自分の気持ちを丁寧に扱うということがわかってきたからだと思います。
「大切」を辞書で引いてみると
[丁寧に扱う]
と言う意味も書いてあります。
何かあった時に、自分の感情を丁寧に扱う。
それが大切にするということなのではないかと思うのです。
言葉に出すだけが方法ではなくて、言葉に出さなくてもその感情と向き合ってあげる。
我慢して蓋をしてしまうのではなく汲み取ってあげる。
そんな感じだと思うのです。
先日、上司から注意を受けました。
その時、私はどうしたか。
上司の言うことは間違ってはいないと思ったので、何も言い返すことはせずそのまま聞きました。
でも、自分の感覚はどうかと言うと、すごく嫌な感じがしたんです。年下の上司に注意されたことでプライドが傷つきました。
そしてみじめな感じがしました。
決して強く言われた訳でもなく「これから注意してください」と、私が交流に連れて行った子と一緒に穏やかに言われたのですが、私も子どもと同じように注意されていると思い、まるで子どもになって先生に怒られた感覚になったのです。
そう、みじめな感じでした。
あと、もやもやした感じもありました。
その子と交流に行った時、交流級の担任からその時の様子が良くなかったと言うことだったのですが、私もその子も交流に楽しく参加できたし、決して嫌な感じを受けるようなことはなかったのです。
でも、注意を受けたことに対しては、ああ、確かにあの時は、私の指導が甘かったのかもと思ったので、注意を受けるのはしょうがないと思ったのですが。
ここまで書いてきて、以前の私だったら、注意を受けた時点で、
「なんて、私はダメなんだろう」
か「あーあ、叱られちゃった…嫌だけど我慢すれば良いだけだし、おとなしくしていよう。」
と思ってそのまま時を過ごしていたと思うのです。
怒られないようにする。自分がやりたいようにはやらないで言われた通りにしようと。
でも、今回はそのもやもやとした感情は一体どこからきているのかもう少し付き合ってみよう、と思ったのです。
もやもやは、交流級の担任との関係でした。若い先生でしたが、私との関係が悪くもなく子どもたちにも気を配ってくれるし、しっかりした人だなあと思っていたので、私に対して悪い感情をもっているとしたら、え?という感じなのです。私のことダメな先生だと思ってる?
まあ、甘いと思われてはいるだろうなとは思っているのですが。
そしてこれから、交流に行く時どう言う立場で行けばいいんだ?と言うことも出てきて、それもまた、嫌な感じがしたのです。
うーん、どうしたらいいのだろう?と思っていた次の日の朝、更衣室でばったりその担任に会ったのです。これは、話しをするしかないと思い、
「この間の交流の時、すみませんでした」
と言うと、
「あ、全然そんなことないんです。主任の先生に、保護者との面談があるので、何か気がついたことがあったら教えてくださいと聞かれたのでこの間の交流の様子を話ししただけなので。全然、大丈夫なんです。」
と笑顔で言われて、
「ああ、よかった」
とホッとしました。
思いきって聞いてよかったと。
そしてやっと自分のもやもやが晴れた気がしました。
自分で色々と自分を納得させようともがいていたのですが、それでも納得させられなかったことが、相手と話しをすることによって、本当にスッキリしたのです。
もちろん、これから注意することはあるのですが…それは様子を見ながらまた、考えればいいと思えたし吹っ切れたと思いました。
そう、以前の私は自分の中だけで解決することしか考えてなくて、自分に全て矛先を向けて、もっとできるようにしなければいけないと自分に課題ばかり与えていたと思うのです。
でも、今回のように自分の中で収まらない場合、行動することで一歩前に進めます。
確かに勇気が必要です。
でも、それは相手に文句を言うとかそう言うことではなくて、自分が真摯になって話しをすれば通じると言うことが結構多いのです。
もちろん言っても無駄だった。
と言うこともありますが、言わないよりはマシだし、「自分のために勇気をもって言う」
ということができると自信になります。
自分で自分を守ると言うことにも繋がります。
それには、自分の感情を丁寧に扱うことが大事なのです。
そう、
自分を大切にする
は、自分の感情を丁寧に汲み取ってあげること。
なのではないでしょうか。
傷つきたくないから我慢するではなく、ちゃんと受け止めてあげて、解決策があるなら勇気をもって行動してみる。
それが無理ならこうやって書き出すとか、カウンセラーや信頼のおける人に話しを聞いてもらう。
そこで自分の感情を丁寧に扱ってあげる。
それができるようになると、本当の意味で人のことも大切にできるのではないでしょうか。
ただ、人の言うことを聞くのではなくきちんと聞く。丁寧に聞く。そうすれば、助けることもできるのではないかと思うのです。
私もまだまだ自分のことで精一杯ですが、人との付き合い方は随分と変わってきましたし、自分のできることが有れば役に立ちたいと思うようになってきました。
自分を大切にする。
自分の感情と付き合い、おろそかにしないで丁寧に向き合う。
そうすることで自分を守ることができ、自分らしく生きていけるのかな、と私は感じています。