記憶の行方#歌の始まり〜melraw

母は、時々妙な電話をかけてくる。

身の知らせか、こちらに何かが起きている時に限って電話をしてくる。千里眼的な目をしており、いつも本質をついてくる。

これはよい音かどうか?10代に入る前は、確かめたい時は母に聞いていた。

「その音は強すぎる、跳ね過ぎている、そんなこと譜面には書いてない。もっと、優しく鍵盤を触りなさい。歌ってないね。歌うように。」

料理に関しては、注文が多い人でしたが、音に関して、聞かない限り、なにかいう人ではなかった。しかし、聴き手の意見は大事なものです。聴く人がいなければ、音楽は完成されません。私も一リスナー。録音するとほんとうに、ぞっとする。こんな風に誰かに聴こえていたのかと思うと、ハイ、改め。その繰り返しの年始。やっと終わったかと思えば緊急事態。

久々に自宅のポストを開けば、年賀状の返しに母から丁寧な手紙が返ってきていた。誤字脱字の訂正文だった。

「正しくは、○→「迎える」です。」

新年早々、ダメ出しをくらう。

2030年が明るい未来であって欲しい。


今年は、ご飯を作る余裕を持つことにした。食べたい料理を作ることは、最高の息抜きだ。

平穏を取り戻しつつある部屋で、イチゴとキウイの配色にあがる。

私「注文の多い料理店って、欲望に食べられる話だっけ?」

子「違うでしょ、猫に食べられる話でしょ」

私「どんな話だったっけ?」

子「はじめに体に塩振って……とか、猫に言われるんだよ」

私「あー、言われるまま、動いていたら、食われるって話しかな」

子「そっちが近いかも」

阿呆な会話の始まりは、子が、歩いた道なりで見た朝の空の色と太陽の暖かさを受けると♪街はいま〜、っ(誰の歌?)て歌いたくなるね、と話し始めたことから始まった。ようやく活字が読めるようになったらしく、よかった。数学の教科書が開けるようになったら、日常を取り戻せた、と判断するという。

さらに『赤ずきん』って、食べられておしまいのラストは、ほんとうにもともこもない、と、子が言い出し。物語のラストの違いで印象が違うことのあれこれを話していた。子は描きたいことがあるらしく、物語の文章とフィルムのカット割りのようなデッサンがあり、板タブに向かう。描きたいものは、形にして、アウトプットするのは、大事。

カット割りの参考になるとしたら、近藤龍人さんの撮った作品をひとまず見た方がいい。と、言っておく。

どんな形で世に出していくのか、若い世代(若いってどの辺までかな?)が考えることは、面白い。アプローチは一つではない。

3000年、未来があって欲しいね。


bgmは、Melraw

Melrawさんのparkliveよかったな。ソロライブは、初めて聴いたけれど、wonk以外にもキングヌー、米津玄師、Chara さんの楽曲にも参加されており、実は以前から聴いていたサックスの音でした。

MCから思うこととは、プライベートは、こちらにはなんの実害もないが、恋愛に関してはたぶんクズ男で(失礼!)舞台上では、最高なアーティスト。








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