記憶の行方S16 休符 小さな出来事
祖父が、カステラを持って上京してきた。僕が、1歳になる頃だ。
僕の誕生日会が開かれた。中野の丸井で、いつもは着そうにない、上下のセットアップを何回も着せられ、結局最初に着た服を購入し、とある中華料理店の2階のお座敷に向かった。KさんとKさんの両親、Kさんと一番仲のよい親戚の叔母ちゃん。母と母の父、僕は手編みの草鞋を履かせれ大きな鏡餅を踏み、そろばんと万年筆と並べられた物を見て、どっちがよい?と聞かれて、黒い万年筆を選んだ。
「母さんと同じ物選んだね。」
と、母の父は、笑った。
僕が草鞋で踏んだ大きな鏡餅を割り、中華料理のコースの最後に家族で食べた。
僕はKさんと母と三人で暮らしていたが、八百屋の2階は1号室から3号室まで、知り合いが住んでいた。
隣の3号室の部屋に住む人は、トランペットを吹いており、帰ってくると、ブルースギターを弾く。
1号室の人は、本の編集をしている人で、机の上には、原稿用紙が積んであった。冊子を作っては、書店に置いてまわっている人だった。
2号室の人は、ほとんど、会ったことがないのだけれど、部屋の中にテントを張って寝ている人だった。漫画を描いている人で、時々、保育園に行く時に、筋トレに向かっている姿を見かけた。
3号室の人は、何をやっているか不明だったが、呑み屋のカウンターに入っては、朝方帰って来ていた。
Kさんは、地図を作る会社で仕事をしており、4号室はなく、僕の住んでいた部屋は、5号室だった。部屋にはいろんな地図があった。
Kさんは、なぜ、子持ちの母と一緒に暮らそうと思ったのか、謎だった。
僕は、旅に出る前にKさんと将棋をさしながら、話をした。
「なんで、30過ぎた母と…。僕だったら27歳の編集者と結婚するね。」
「ええ?27歳ね。新潟帰っちゃったからね。」
「それで、仕方なく?」
「ひどいこと言うね。30過ぎた頃の女性の良さがわからないのは、まだ、お子様だな。久しぶりに会ったらね。下っ腹がぽてっとしててね。それ見て、なんか、笑っちゃったんだよね。」
「何、それ。」
「俺が幸せだから、いいの。」
そういいながら、ピシッと、Kさんは、盤面に駒をさした。