記憶の行方#5年後の一言
ショパン国際ピアノコンクールをライブ配信で聴いて、コンクールで聴くショパン漬けの余韻がようやくおさまって、のんびりショパンを聴いて食パン食べる日常に戻りつつある。
どうなっちゃうんだろうなあと、26歳時分の頃、振り返ると、揺れたかな、青年期は揺れるものだ。不安はつきもので、一喜一憂の日々だったな。しかし、仕事は最高潮に忙しく、毎晩、疲れ切っていたのだけれど、音楽を聴いていて、次の日を迎える。そんな日々でした。今は、疲れ切るほど全力疾走しなくなった。飄々と歩く。
何かを成し遂げなければならないように義務感で音楽を聴いてしまうとつまらなくなる。
なんで、心が泡立つ感覚になるのか?
ファンタジーは、持ち続けたいもの。
よくわからないのだけれど、この一年あまりがあっという間に駆け抜けた。
真摯に古典と向き合って、今、出来ることを思考する、感じたことを表出する。それだけだ。気の向くまま。
久々にクラシック音楽を聴いてみたり、行ってみたかったところへ行ってみたり、遠くにいる人へ手紙を書いてみたり、zoom開いたり……閉じたり、お茶したり、家具見たり、新しくもなく古くもなくわたしにとっての当たり前の日常を取り戻しつつある。
radikoにログインしたら、松重さんのラジオ番組5周年だった。おめでとうございます。しかし、寝落ち。5年前と5年後を一言で表すと……。なんだろうな。
5年前「富士」
富士山付近にいた。とある撮影のため、その地域に住む極限られた人が入れる秘境の地に入っていた。カメラとレンズとバッテリーが冷え切って、本当に冷や冷やした。映画って恐ろしい。日常の境界線をこえてしまう怖さがある。でも、楽しいファミリーとの思い出。
5年後「飄々と散歩(パリ→ニューヨーク→ロンドン→日本)」何が起きているか、わかりません。そこで、相変わらず、文字を書いていることは、確か。
on your mind!
set!
自分が思うより君は愛されているよ。