O mio babbino caro(私のお父さま)⑤
高校生にもなると、弾く曲も難しくなり、怠けている暇もなくなった。
だから、父は以前のように怒ることはなくなっていた。
私は弾くことだけでなく、ソルフェージュや聴音も好きだった。
通っていたピアノ教室(音大の分室)に、本校(大学)から教授が来てくださり、時々ソルフェージュのレッスンをしてくださった。
そして私に東京に来ることを勧めてくださった。
もちろん、父は大喜びした。
未知の土地、東京。
進路が変わりつつあった。
高校生活最後の夏休みを迎えようとしていた高3のある日のこと。
担任に呼び出され、
「お前、音大に行くそうじゃないか。今のままでは勉強が間に合わないから、試験科目の教科担任にお願いしたので今日から居残り授業な!」と言われた。
父とピアノ教室の先生との間で、私の東京行きは少しずつ話が進んでいた。
私のことで先生と何かしらやりとりをしているなと、薄々感じてはいたけれど、
高3になるタイミングで家を建てたばかりだし、そんなことして大丈夫なんだろうか、と心配の方が先に立った。
父は、たぶん、先生から離れる事を望んでいた。
東京でどこまで伸びるか、試したかったんだろうと思う。
入試の課題曲が出されたのは確か、11月中旬頃。
さすがに簡単ではなかった。
でも1番困ったのは勉強だった。
学部と短大があり、よく調べもせず、ピアノの先生の言う通り、短大の方が勉強が簡単だからと、短大にした。
そして
まだ就職のことは諦めていなかったので、はやく帰ってきて就職するのも良いな、と考えたりもしていた。