もの忘れ外来
きょうは、母の半年に一度の
もの忘れ外来の診察日。
遡ること2018年の秋。
お互い元気なうちに弟に会いたい
と言うので、飛行機で岩手まで一緒に行った。
途中、力持ちの母なのに、
さほど重たくもないリュックを背負ったままエスカレーターに座り込んでしまった。
何やってんの?!危ないでしょ!
と、娘が叫んだ。
その年の春頃、ホームドクターに
「最近、少し認知症の症状が出始めているので、もの忘れ外来に行ってみましょうか。今から予約すると秋頃かなぁ」
と言われた。
エスカレーターに座り込んでも、危ないとも汚いとも思っていない、宙を見るようなうつろな母の目を見て、ついに来たか…
とも思ったが、
その後はいつもの様子に戻った。
同じく認知症が始まった弟(私の叔父)と、ワイワイ賑やかに過ごし、
私と娘は知り合いを呼んでカフェでライブを開催し、三泊四日の旅を満喫した。
飛行機が悪天候のため飛ばないので新幹線で帰ることになり、
長旅を強いられることになったが、
母はずっと楽しそうだった。
新大阪には夫が迎えに来てくれていて
無事に着いてホッとした。
ホッとしたのは母も同じ。
ふと足元を見ると、玄関のたたきが水浸しになっている。
どうしたの?!何こぼし…
え?
「何?漏らしたの?」
「どうしたんだろ。何だろうねこれ」
「トイレ大丈夫?って聞いたのに。」
「だって大丈夫だもん。」
もの忘れ外来。
あの時、そうかなあと思いながら予約したけど、
やっぱりそうなのかな。
と、すぐに予約できたことに感謝もしたけど急に心細くもなった。
大阪に戻ってから10日後くらいに診察があった。
主治医は偶然にも同じ盛岡出身の人。
行ってきたばかりの岩手の話に花が咲いた。
田舎の人独特の言い回しや、冗談混じりの発言、ニュアンスをわかってくださるので、私はとても安心した。
「認知症も今は早期発見で、お薬も良いのが出ています。
ただ、合う合わないがあるので、合うお薬が見つかるまで、時間がかかるかもしれません。」
とのこと。
運良く、最初に処方してもらったお薬が合ったようで、量を加減しながら
今に至っている。
もうオムツは外せないけど、
ヨタヨタと歩きながら、身の回りのことはできる。
元々動くのが面倒な人なので、筋肉の衰えは著しく、ますます歩けなくなってきてるけど、
姑の時のように、テーブルに排泄物が乗ってるとか、徘徊するとか、そういうことはないので、
とても助かっている。
お薬のおかげで無事、生きている。
しかしこのお薬の飲み忘れも著しく
色々工夫を凝らしたり、家族だけでなく、色んな方々の協力を得ているのだが、元々の性格が災いして…
こちらはよく騙される。
検査の結果は正直なのですぐに
バレることになるのに。