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【エッセイ】書く

書くことは難しいか?


 というようなことを考えた時に思うのはそもそもこの「書くことは難しいか?」という変な考え/設問/問いかけが無駄。
 というのはこの「書くのは難しいか?】という特定の考えを差しているのではなくして、小説でも詩でも論文でもエッセイでも評論でもなんでもいいのだけどそれを書こうという時にその前段階としてこういう準備みたいな、覚悟みたいな事を考えていることが無駄。
 助走が無駄。
 準備運動が無駄。
 計画が無駄。

無駄を省く


 ではこういった無駄な考えと行動を皆無にして文章を書こうとした時に、最初に何をするのが効率的かというと、全く利益を生まない文章を書き続けて数十年という経験上、これはとにかく「なんでもいいので文字を置いてみる」ということに尽きるのである、個人的に。
 自分は打鍵が趣味ということも合ってPCを使うわけだけども、書く以前にこのPCを立ち上げるという作業そのものが面倒臭く感じてしまうような場合もあるので、特にPCだのなんだのを使わずにチラシの裏とか、買ってみたけどあまりにもつまらなくて捨ててしまおうと思っている文庫本の端っこの空白でもいいので、とにかくなんか書け。
 こんなふうに高圧的な物言いをすると嫌われる昨今だが、そんな世情は無視する。
 物書きが世情だのコンプライアンスだのタブーだの非常識だの想定だのなんだのと言い始めたらその時点でジ・エンドなのである。
 いいから書け。
 なんでもいいの。

 例えば現在私の眼前には百均で購入したゴミ箱の蓋が半開きで、今朝食べたヨーグルトの容器がはみ出し、ヨーグルトに雑に放り込んだブルーベリーの汁がゴミ箱の縁に垂れていて不潔な光景が広がっているのだが、これを見て私なら文章の一行目に
「きったねぇなぁ」
と書く。

何を書きたいのか?

 さて、あなたは何を書きたいのか?

 小説?
 詩?
 エッセイ?
 俳句?
 論文?
 近所への嫌がらせの張り紙?
 普段から執拗に追いかけ回している美女に宛てた匿名の投書?
 誹謗中傷?

 まぁなんでもいいのだ、そんなことは。
 文字を置いてしまえばそれは何にでもなる。

☆【自由律俳句】汚

きったねぇなぁ 青紫

☆【詩】汚

きったねぇなぁ まさに
はみ出して垂れて中毒的に回転する青紫
  溢れる机上で
ああこれが
宇宙だ

☆【小説】汚

 きったねぇなぁ。
 今日に限って。

 これを繰り返してもうぼちぼち18年になるのだが私は。
 その18年のうちで室外に出たのは、おそらく100時間にも達しないだろう。
 父はこの18年のうちに死んだ。と、母は言っていた。
 食事は母が運んでくれる。特に母と仲が悪いわけでもないのだが自室から出たくないので母を部屋に入れ、談笑しながら小さな卓袱台で朝昼晩深夜の飯を食う。食い終わると食器と洗濯物を持って母は退室。
 トイレや洗面は自室に有るし、エアコン完備で暑くも寒くもない。
 しかし流石に浴室は無いので問題は入浴だが暑くも寒くもないので汗もかかないし外に出ないので体も汚れない為、週一くらいでシャワーを軽く浴びるのみで、まぁ数分。

 だが今日は18年間のこの歴史が変わってしまう日となった。

 いつも通り母と朝飯を喰ってしばし昼寝をカマし、臍の周りの吹き出物を潰しながら昼を迎えたのだが、昼飯が来ない。あ、いや、昼飯を持った母が来ない。
 部屋の外に出たくないしかし腹は減る。
 私は仕方無しにドアを開け一歩廊下に踏み出した。

 転倒。

 味噌汁が廊下で盛大にバラまかれていて、私は脚を滑らせ転倒。

 そんなわけで。
 きったねぇなぁ。今日に限って。

 後ろにひっくり返り味噌汁の飛沫を飛ばしながらフローリングに後頭部を打ち付け、頭蓋にメリッという感触を確認。
 と同時に体の自由が徐々に奪われるという悪い予感が脳内を駆け巡り、とりあえず母を呼んで味噌汁の片付けと私の頭蓋の応急処置を頼もうと首を横に曲げた途端、眼前には私同様味噌汁に浸って白目をむく母の顔がドアップで拡がり、恐怖と絶望に支配された私は最後の力を振り絞って母の顔に付着した味噌汁を舐めた。
 おいしいよ、かあさん。
 おふくろの味。
(了)

 とまぁこういう具合にとりあえず何か文字を置いてしまえば後はどうにかなる。だから。

何かを書いて自らの人生を変えてやろう、フンッフンッ!

とてつもなく緻密なトリックを考え出してそれを出版社に高額で買い取らせ億万長者になろう、フンッフンッ!

 みたいな崇高な志は脇に寄せてとりあえず文字を置く。
 崇高だろうが卑賤であろうが、あなたの思惑は文章ありきであって、妄想的計画はあとまわしにするのが懸命である。

タイトル

 さて、まぁ内容はたいして問題ではないということがわかってもらえたと思うので、書き散らした文章を作品化するのにはタイトルをつけたほうが良い、ということについて。
 べつにつけなくてもいいのだけど、世の中わりとスカした奴ら、気取った奴ら、似非アーティストみたいな奴らが多くて「無題」とかって気取った作品名が巷にはわんさか存在する。
 あなたの目的がなんであれ、こうしたスカした、気取った、似非アーティスト然とした下郎共とはやはり一線を画さねばならない。なのでタイトルは付けたほうが良いと、私は考えている。

 僭越ながら自分の事を例に挙げるとすれば、私は日頃からタイトルをコレクションしている。
 何をいってるんだ、こいつは?と思うかもしれないけども、実際にそうしているのだから仕方がない。
 私は普段、PCのメモ帳で執筆しているのだが、内容が一文字も書かれていないファイルに、思いつきでタイトルをつけて保存している。
 先日から書き始めた「二愚」という小説のタイトルもそう。
 半年くらい前からタイトルだけ出来ていた。
 二愚とは何か?私も知らん。
 なんか閃いただけでおそらく調べてもそんな言葉はないと思う。

 他にタイトルだけできているファイルをいくつか紹介してみる。

「反私」
「キシベ・インデックス・ファンド」
「夢」
「雑丼」
「乳首。勃っ、」

 他にも多数あるのだが、ザッとこんな感じである。
 タイトルから内容を想像しようとしても無駄。だって何も書いてないし、それ以前になにも考えていないから。
 しかし、この空のファイルを開いて、とりあえず思いつきの文字を置いてみればもう、作品は完成したも同然なのである。
 極めて効率的で、書くことは難しいか?などという放屁の役にも立たない愚問に取り掛かるより余程有意義である。
 ちなみに上記タイトルの作品は、必ずや書き上げてnoteで公開しようと思っている。いつになるか知らんが。できれば生きてるうちに。

さて

 駄文も長々と書き過ぎると書き手も読みても飽きる。

 なので多少強引に締めようと思っているのだが、まぁこれ、文章に限らずで、自分の場合音楽を作る時もそう。
 作曲なんかしないでiPhoneのレコーダーを準備して手元にあった空き缶をぶつけてみるとか、サーキュレーターの真ん前に吊るしてみるとか、ズボンのポケットに入れて家中を歩き回るとかしてとにかく音を録り、それを流しながらエレキギターを弾いてPCに録音するとか、そういうやり方である。
このあたり、詳細に書くと身バレする可能性もあるので(笑)やめとくが、作品づくりなんてのはこんなもんである。

 批判上等で敢えて言っておくけども、どんな表現をするにしても、それをする私はそれをするあなたは、ひとつもアーティスティックではないしましてや高尚な存在などではない。
 私はあなたは市井の人だ。
 私はあなたは一般人だ。
 私はあなたは好き放題に創作する権利がある。
 私のあなたの創造力を縛る法は無い。

作品づくりは舐めてかかれ。

 その方が面白いから。

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