【短編小説】肖像
いつも視界の何処かに引っかかっている。
どうだろうこの額縁というものが一切存在しない家庭というものはあるのだろうか?
ザッと嫌々ながら敢えて周囲を見回してみても、冷蔵庫の上、テレビの脇、そして壁。
我が国の家屋に於いて部屋というのはだいたい四角を基本に作られていることが多くまた、当家もその例外ではない。したがって壁は四方にある。そのうちの一方には間口一間の掃き出し窓があるのだが、その大きな窓の上にも狭いながら壁はあるし、大抵の壁面は壁全面がぴっちりと窓だけで支えられているということは無く、たとえそこに掃き出し窓があったとしても長手方向にはそれ以上の寸法を与えられていて、その壁はというのはがらんとしているものだ。場合によっては壁面上部にエアコンなどが設置されているかもしれないがそれとて壁面のごく一部を占めるに過ぎず、それ以外のスペースには、これは私の家だけかもしれないが、額縁がある。
その家に子どもが生まれると一家の者は我先にスマホを構え、その生まれたばかりのくしゃくしゃの顔や全身を写真に撮り、その写真を額縁に入れて壁に飾る場合もあるだろうしその父母はしばらくの間、我が子の写真を待受やら壁紙やらに設定して持ち歩くだろう。スマホの画面はその時、簡易可動式の額縁とも言える。
あるいは「額縁」という装飾品としての体裁でななくても、推しのポスターやらチェキやらを部屋の壁に画鋲で貼り付けている者はいるだろうし、自らが広告の裏に描いた落書きをなんとなーく、勢いでノートPCの蓋部分にテープで張ってみたり、やや照れながら恋人の画像をPCの壁紙に使ったりする人もあるだろう。PCを起動すれば自動的に額縁がそこに現出するのである。
そういう意味で。
私は。
多くのいや、無数の額縁に囲まれて生きている。
祖父母が住み父母が住んだ我が家の壁には祖父母が撮った父の写真父が撮った母の写真母が撮った父の写真父母が撮った私の写真父母が撮った妹の写真祖父母の遺影父母の遺影私が撮った父母の写真私が撮った妹の写真私が撮った妻の写真妻が撮った私の写真妹が撮った恋人の写真妹が撮った私の写真。
父母が撮った私と妹。
妹が撮った私と妻。
妻が撮った妹と私。
妹の遺影。
私が撮った娘の写真。
私が撮った倅の写真。
妻の遺影。
灼熱の大地で先住民と肩を組み朗らかに笑う娘の姿。
彼の地に渡り朽ちるような舞台に立ち異様なまでに瞳を輝かせながら演じる倅の姿。
額縁と壁の隙間に生まれた影。
微かに微笑む顔顔顔、どの顔もどの顔も。
人はそんなにいつも上機嫌だろうか?
広角を上げながら感情を殺した視線を向けてくるのは誰だ?
毎日毎日、その全てと対峙し続けている。
生まれてすぐに額縁に入りそこから笑ったり泣いたり怒ったりする家族を眺め、死ねばまた額縁に入ってほんのちょっとの悔恨を放つ視線でしかしもはや全てを赦しながら遺った者を見つめている。
だが四方から無数の視線に囲まれて私は朽ちる。
私はことりとスマホを倒し、机に肘を突いて画面を見つめるのだ。
いや。
無数の視線に囲まれながら、画面越しに他のどの写真より輝く笑顔で私を見上げる妹と見つめ合いながらこの場で朽ち果てて、額縁に収まることを拒絶する。
(了)