【小説】脚。#1
馬の精液を溜め込んだ大盥みたいに濁った、でも真っ黄色な月がやけにデカい夜だった。
路地に注ぐ黄色い光の中を俺は熊のように大きな歩幅で、夜空を見上げるほどふんぞり返ったあからさまな虚勢をみっともなく晒しながら、文字通りのっしのっしと、のっしのっしと、路地を歩いていた。お決まりの咥えタバコで。
のっしのっしというのは気分の問題で、実際には俺の図体を通すには狭すぎる路地の両側の壁に肩をや頭をガンガンぶつけながら、つまりよろけていて、つまり、俺は泥酔していたのだ。
ダイの店で焼きとんに喰らいついてビールと泡盛でいい調子になり、いつもの繁華街から外れた中国女のバーへ寄ってバーボン、フィリピン女のバーでバーボンとセックス、それから、それから、それから。
とにかく今はただ歩いている。路地を。酔っ払って。
あ、そうだ、善一の寿司屋に寄った。
2年前までは尻から麻薬入れてたような唐変木が、たいした修行もしないで出した小汚ねぇ寿司屋。
クソして手も洗わねぇような人間が握る寿司。場所が場所だから端っから寿司の味なんか解る客は来ないし、そもそも善一に魚の仕入れなんかできるはずもない。スーパーで割引価格になってたようなマグロを買ってきてテキトーな酢飯に乗せて貧弱に握ったユルユルの寿司モドキが、単に安いというその一点でヘロヘロになった売春婦や舌が牛並みに浮腫んだ酔っ払いにウケて繁盛を始めた途端に気取り始めやがった善一。
俺が腐りかけた木の引き戸を開けて店に足を踏み入れた瞬間にもう、腹の底から迷惑そうな顔をしやがったんで俺は、カウンターで飲んでいた爺の前から瓶ビールを取り上げてその爺の頭で瓶をかち割り、そのまま身体を伸ばして善一の手の甲に振り下ろしてやったってわけだ。
泣き叫ぶ善一の鮮血は、まな板で切りかけの安いマグロより紅かった。
そんな事も覚えているし、他にも何か覚えているような覚えていないような。
でも俺はこの路地まで歩いてきていて。
馬の精液のような月があって。
タバコの煙が染みてちょっと細めた視界は霞んでいて、最初はそれが何かわからずにただのしのしと近づいてみたらそれは善一の鮮血よりも更に紅いピンヒールを履いた脚で、ヒールが上を向いていた。
ヒールが指し示す夜空を見上げると、相変わらず馬の精液が染みのように黄色く浮かんでいてそれは案外明るく、照らし出された脚に目を戻すと驚いたことに、脚はゴミ集積用の巨大な木箱に突き刺さっていた。
俺は木箱を覗いてみたがけっこう深いようで闇に満たされ、何も見えない。
それにしてもきれいな脚だ。
華奢な足首は美しく縊れ、踝も丸みを帯びている。
脛はツルツルに仕上げられていて、脹脛は適度な脂肪に包まれそのまま拡がって自然な形で生々しい太腿に繋がっている。
これは女の脚だ。
いやいやいやいや待て待てそうとは限らない。
脚だけで女とするのは早計だ。脚がきれいな女装趣味の男だっているだろう。
なにしろこのゴミ箱の闇が深すぎて、太腿から先が見えない。
俺は恐る恐るその足に手を伸ばし、足首に触れた。
その瞬間だ、脚が猛烈にジタバタし始め靴の裏側で俺の顎を蹴り上げた。
ちくしょう!俺は一旦仰け反ったがすぐにまた脚に食らいついた。
今度はピンヒールの先端が頬の肉を削った。
ちくしょうちくしょう!俺は腕を拡げ、暴れ回る脛に手を回して抱きかかえた。
それでも脚は、時々回転するように捻れながら暴れた。
俺はその暴力に必死で耐え数分間、全力で格闘した。
やがて疲れたのだろうか、脚はおとなしくなった。
口の中が切れたようで生臭く、鉄の味がした。
裂けた頬から流れる血が、喉にまでその生暖かさを伝えている。
頬の傷がヒリヒリとした痛みを増すごとに、俺は欲情した。
ヤりたかった。
この脚の持ち主が女であればベストだが、この際男でもいい。
とにかく、すぐさま穴にぶち込みたかった。
抱きかかえた脚に頬ずりをすると、蒼白の皮膚が紅く穢れた。
俺はその穢れに舌を這わせた。
柔らかく、張りがあり、なにより温かかった。
血が通っている。生きている。
この脚と俺のペニスは、どっちも脈を打っている。
どくんどくんとそのふたつの痙攣は、やがて同期し始めた。
(つづく)