【小説】弱い男#1
弱
そう、彼は弱かった。
弱いというのは、いわゆる体が弱いすなわち、ひ弱という生来の肉体的弱さではない。
彼は弱かった。
弱いというのは、いわゆるおつむが弱いすなわち、バカという生来の知能的弱さではない。
彼は弱かった。
簡単にかつ乱暴な言い方をしてしまえば「ケンカが弱い」とかそう言う世の中の順列的な地位の低さ、という意味の弱さであり、その地位は仲間内では最下層に属していて、普段から意に反してパシリの役割を押しつけられている。それがいやで反抗することもあるのだが、あっと言う間に暴力でねじ伏せられてしまって更に地位は低下する。
人生にそんな悪循環を引き起こしてしまうほどに彼は弱かった。
「ちくしょう、強くなりてぇなぁ」
なんて、なんの努力もしないで石ころを蹴りながらとぼとぼ歩いているから弱いままなのだし、そんな簡単なことにさえ気付かないところがまた弱さの根拠となっている。
しかし、ここだけの話、彼は気付いているのだ。自分の弱さがどこに起因しているのか。
「強くなろうとしてないから」
「そら、強くなるはずもない」
と、ひとりで問答できるほどにわかっている。
だからほんのささやかな努力として、インターネットで「世界の武術」という実に大雑把な検索をかけ、ほじくり返してはそこに掲載されている写真を参考に、まず形をキメてみる。
3畳ほどの狭い自室でモニターに写る空手家の写真を真似ながらくねくねと身を捩らせてみたが、ちょっと大きく動くと壁に手足がぶつかってしまう狭い部屋が憎らしく思え、自分にこんな狭い部屋しか与えられない甲斐性なしの父母を憎悪し、この際だからこうして体得した空手の技術でまずこの父母を血祭りに上げてやろうかと妄想して、ひひひと笑ったけれど今ひとつ笑いに迫力が欠けて情けない。こんな卑屈な笑いをしているようではとてもとても「自分は強い男である」と胸を張ることはできないと思う。
ではこの卑屈さの原因は何かといえばこれはもう、この狭い部屋に違いない。部屋が狭くて思う存分に動けないから精神まで卑屈になるのだと彼は結論を出し、ひとまずは部屋を出る。
そして、これもまぁそれほど広くはない玄関ホールに立ってみると、おあつらえ向きに姿見が置いてある。
先ほどモニターに映っていた画像を思い浮かべつつ、姿見の自分にそのポーズを真似させてみる。
「暗黒舞踏」
いつからそこにいたのか、背後に母親が立っていて、彼を指差しながらきっぱりとそう言い放った。
姿見に映る自分と母親の姿をみつめ、内心ムカつきながらも弱い彼はにっこりと母親に笑顔を向ける。
そして絶望に身をこごめながら自室に戻り、古くさい蛍光灯のヒモを引っ張って室内を闇で暖め、さらに真綿の重い布団を唇付近まで引き上げて「寒いナァ」と呟いたかと思うと、すぐさま眠りに落ちてしまった。
家の中も外も寒々しい師走の夜。
(つづく)